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質問98: 「幸せな夢」とはどのようなものですか?

facim q&a

人生における「幸せな夢」の経験について、さらに何かご存知でしたら教えてください。


これは、いわば、私たちの人生を逆転させるプロセスのようなものでしょうか? 自我の経験の中へと私たちを導いたものを取り消して癒し、そこから私たちを導き出すプロセスというようなものですか? 人は、このプロセスを損なったり台無しにしたりして、もとの自我に、あるいは別の自我へと、完全に戻ってしまうというようなことはあるのでしょうか? このプロセスが終わったとき、人は、それが終わったということを認識できるのでしょうか?

 

回答

このコースを学ぶ人々の多くがそうした疑問を抱くようです。ここで次のことを覚えておくと、助けになります。すなわち、私たちは常に、実際には一度も起こらなかったものの取り消しに取り組んでいるということ、だから、イエスに導かれる私たちの旅は、そのことを私たちが受け入れることで終了する、ということです。ですから、イエスは、様々な段階や局面からなる計画に沿った旅路の「地図」を示してくれてはいますが、そのすべてが全面的に幻想だということを承知しています。

 

『奇跡講座』の中で語られている「幸せな夢」とは、もはや私たちがこの世界や肉体と同一化していないという経験のことを指していて、それは心の中で起こることです。そこでは、私たちは自分の間違った想念や選択についての聖霊による訂正と同一化しています。自分の平安は外側のどんなものにも決して影響されないことがわかっているという意味において、自分の私的な生活やこの世界の中のどんなことも、深刻には受け止めなくなっています。また私たちには、自分たちの心の中に存在するイエスまたは聖霊の愛以外に実在するものはないということが経験的にわかるようになり、その愛が私たちの行うことすべての源泉となっています。そういう意味では、そのとき私たちは、「分離するという自らの選択を逆転させるプロセス、つまり、自我の経験へと自分を導いたものを取り消して癒すというプロセス」の終了地点にいるということになります。その状態では、私たちはもはや揺れ動くことはありません。つまり、間違った心も、心の中の決断の主体すらも存在しないということです。

 

私たちが自我の状態へと舞い戻るのは、依然として、共通の利害よりも個別の利益の方を大切にしているときだけです。それは常に、「私たちが何を真に望むか」という問題であり、「分離したままでいることの代価を喜んで支払うつもりなのかどうか」という問題です。私たちの真の自己は、私たちがそのアイデンティティーを否認してその代わりに世界の中の個人としての自己になるという選択をしたからといって何ら影響されることはありませんが、私たちの方は、その偽りのアイデンティティーを身につけ、維持するために、大きな代価を払い続けることになります。私たちの人生は一つの選択の結果であったということ、そしてその選択は、私たちにとっては多大な犠牲を伴うものだったということを見てとれるように、イエスは私たちを助けてくれます。

 

 

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