「否認のもつ力を見くびってはならない」
今月と来月(2019年9月と10月)は、「否認」というテーマに関するFACIMのQ&Aとビデオをご紹介しますので、この機会に、「否認」について、少しだけ補足しておきます。
「否認のもつ力を見くびってはならない」 ―― これは、最初は『奇跡講座』筆記者のヘレン・シャックマンに個人的に与えられたアドバイスでしたが(『天国から離れて』、p188参照)、後に、この文が、「それを信じる自我の信念の力を過小評価してはならない」という形に言い換えられて、テキストの第5章 (T-5.V.2:11) にも収められています。
「否認のもつ力を見くびってはならない。」
「自我の信念の力を過小評価してはならない。」
これらの言葉から明らかなのは、私たちは普段、私たちを自我の支配下においている「否認の力」を確かに過小評価している、ということです。自分がどれほど自我を信じ切っているのかについて、多くの場合、私たちは気づいていません。
このことを自覚することが、『奇跡講座』の学びの道から迷い出てしまわないための秘訣の一つです。
学び始めたばかりの時期は、誰でも皆、完全に自我と同一化しています。その自我の価値観の枠内で、「自分は愛や真理を求めている」と思っています。けれどもこのコースでは、その自我そのものから抜け出すことを学んでいきますから、愛や真理の意味さえ、定義し直されていきます。そして、自分が望んでいると思っていた愛は本当の愛ではなく、本当の愛を自分は恐れてさえいるということも、わかってきます。そういう意味では、これは非常にラディカルな教えです。(以前のワンポイント解説「奇跡講座のスケールの大きさ」も、この観点から、改めて参照してください。)
自我というものは、「霊性」のように見せかけられたものを隠れ蓑にしてでも、最後の最後まで居残ることができるものです。超能力や霊的な能力をもっている人であろうと、啓示体験や超常体験をしたことのある人であろうと、普段の肉体の生活に戻った時に、ほんの少しでも苛立ったりすることがあるなら、まだ自我は残っていると言えます。
けれども、『奇跡講座』を学び続けるなら、私たちは自分の自我の反応を、きわめて微妙なところまで自覚できるようになってきて、それにより、それらを超えていけるようになります。
そのために、私たちは、自我の闇を直視することを学んでいます。ですから、誰でも、本気でこのコースを学ぶなら、「かなりきつい」という経験をすることがあるはずです。だからこそ、「自分に優しく」とか、「ゆっくり進みなさい」とか、「深刻にならないように」といったアドバイスが、繰り返されているわけですが、それは、もともと難しいことに取り組むことを前提とした上での励ましの言葉です。その前提に立たずに、ただ「自分に厳しくならなくていい」とだけ言っているのなら、単に、自我を甘やかしているだけです。
この点を見落とすと、〈聖霊〉や〈赦し〉などといった『奇跡講座』の用語を使いながらも、実際には、ニューエイジ系のポジティブ思考を実践しているのと同じことになってしまいます。その場合、「闇を直視せずに愛や光のみを語ることが、実際には、恐れを保護し、継続させている」ということが、認識されていません。
上述の「奇跡講座のスケールの大きさ」の中でも述べたように、学び始めの頃は多くの人々がそういう段階を通過していきますから、それはそれでかまいませんが、そこに長く留まらずにもっと先まで進みたいなら、私たちは「否認のもつ力」を見くびらないように注意していなければなりません。
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最後に、『奇跡講座』紹介ビデオ(パート2)から、ケネス・ワプニック博士の言葉を引用しておきます:
『奇跡講座』は、私たちの精神の「闇の側面」と呼べるものを直視するということを、強調しています。
世界の苦しみや葛藤を終わらせるという素晴らしい理想は、すべての人々の中にあるこうした闇の部分に人々が注意を向けない限り、達成できるとは思えません。
こうした闇の部分を表面に浮上させるのが、人間関係です。私たち全員の中に、他人を助けたくないと思っている部分があります。自分の縄張りとか、個人的な経験とか、ありとあらゆる個人的なものを、私たちは手放したくないと思っています。
けれども、赦しを通してこうした憎悪や罪悪の隅石を明るみに出すことは、私たちのためになることなのです。そのことを私たちが認識できるように、このコースは助けてくれます。
それが、霊性の道としての『奇跡講座』のユニークさです。
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