V#17: 「教える」ということについて
[投稿日:2017年1月17日]
2009年2月のケネス・ワプニック博士の講話です。
『奇跡講座』では、誰もが「神の教師」であると述べられているので、とかく、「『奇跡講座』を教えたい」という人々が現れがちですが、このコースで言う「教える」とはどういう意味なのかが、正しく理解されていない場合がよくあります。
このビデオでは、この「教える」ということの意味について説明しています。
以前、このビデオの中で述べられているのとほぼ同じ内容の話の後に、 「では、なぜ、あなたはこのコースの解説をしているのですか」と質問 されたケネス・ワプニック先生は、次のように答えていました。
これが私の仕事なので教えていますが、私は、 自分がクラスを教えていること自体が、(マニュアルが 述べているような意味での)「教える」ということだ などといった幻想は抱いていません。
要するに、「マニュアル」が述べている通りの「神の教師」になることと、『奇跡講座』について解説したり教えたり著述したりすることは、全く別のものである、ということです。
この世界では、誰でも、職業に就いたり、何らかの役割(例えば、専業主婦とか母親とか)を担ったりすることは避けられませんから、才能や適性や境遇などによって、たまたま何らかの教科課程の教師として、「教えること」を職業とすることになる人々がいます。
それと同じ意味で、ワプニック先生のように、『奇跡講座』について解説する役回りの人々もいるわけですが、それは他の仕事を行うのと何ら違いはありません。そして、どの分野でも、何らかの教科を教える人々は、その分野の専門知識を養ったうえで教えています。
また、教科内容が『奇跡講座』となったとたんに、それを教える人々が誰でも自動的に「マニュアル」が述べている通りの意味で、「神の教師」となるわけではありません。
中学校で数学を教えている先生でも、子育てに専念している人でも、大企業の重役でも、あるいは、『奇跡講座』を教えることが仕事となっている人でも、皆同じく、どの瞬間でも、自我の思考体系か聖霊の思考体系かのどちらかを体現することが可能です。それが、どちらかを「教える」ということです。
「神の教師」とは、職業に関係なく、できる限りいつでも、聖霊の思考体系を体現する者となりたいという目的をもって、『奇跡講座』を学び実践している人々のことです。