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質問18: 芸術の意味と目的について

もし芸術とは、芸術家が神の愛の代替として作り上げる<特別な関係>の一つの形であると見なせるのであれば、芸術の様々な形態は、<愛を求める声>と考えるべきなのでしょうか? また、こうした形態は、たとえばモーツアルトの音楽の場合のような、いわゆる「チャネリング」のようにして表現された形態と、どのように異なるものなのでしょうか。「チャネリング」された芸術は、<愛を求める声>というよりも、むしろ愛の表現に近い、と言えるでしょうか。

また、この物質世界における私たちの体験というレベル、すなわち「レベルII」(訳注:質問3を参照)において、偉大な芸術と凡庸な芸術といった人間による区別を、私たちはどのように「正当化」できるのでしょうか。

  

回答

まず初めに、特定の芸術家の特定の作品が、神の愛の代替であるかどうか、すなわち一つの<特別な関係>の表われであるかどうか、ということは、私たちには判定できません。それを識別できるのは、その芸術家本人だけです。通常、私たちには、それが間違った(自我の)心から来ているのか、正しい(聖霊の)心から来ているのかを、単にその形態から判別することはできないのです。もし、神の愛の反映が、ある特定の芸術作品の源であるならば、おっしゃる通り、それは愛の表現です。その場合、私たちが犯しやすい間違いは、その形態の背後にある内容に一体感を持つよりも、その作品自体を崇拝してしまう、という点です。

 

全ての<特別な愛の関係>は、自分たちの心の中にある焼け付くような痛みから自分を守ろうとする防衛に他なりません。その痛みは、私たちが自分の思い通りに存在するために神の愛を拒絶した、ということについて、私たちの誰もが感じている罪悪感(*訳注:質問15を参照)から発しています。自我の助言に従って、私たちは、罪悪感で重たくなった自分の心から目を逸らして、特定の個人や物質や活動に注意を向け、そうした具体的なものごとによって苦痛を閉め出してもらい、心の中の寂しさを補ってもらおうとします。その本質において、<特別な愛の関係>は、に対し次のように宣言しているのです。「私たちには神の愛は必要ない。この世界の中の様々な関係によって、私たちが虚しさを満たしたり、達成感や価値を体験したりすることは、十分に可能である」と。これが全ての<特別な愛の関係>という<形>の奥に潜む<内容>です。この種の関係がもたらす心地よい感情は、その土台を為している憎悪を隠しています。

 

同時に、私たちは心の別な部分において、「こうしたことのすべては、単なる愚かな間違いだったので、私たちは赦されていて、だから、私たちの罪悪感も、その罪悪感に対する防衛ももはや必要ない」と告げられることを切望しています。これが、こうした二つの態度、すなわち二つの考え方に分裂した私たちの心の中に、今も存在している<愛を求める声>です。

 

聖霊によれば、どのような<形>でも、私たちに自分自身についての真理を想起させるために使用することが可能です。この意味において、あるものが他のものよりもインスピレーションに満ちているとか、欠けているということはないのです。換言すれば、いったん私たちが、分離は起こったし、自分達はこの世界の中に肉体として存在していると信じ始めたら、この世界も私たちの肉体もニュートラルなものと見なされる、ということです。従って、この世界の中に存在するものはどんなものでも、私たちが自分の教師として自我を選ぶか、聖霊を選ぶかにより、私たちをこの世界を超えたところへと導く手段にもなり得るし、この世界の更に奥まったところへと導く手段にもなり得ます。たとえば、私たちは、ミケランジェロのダビデ像に魅了され、自分たちの完璧さやとの一体性を想起させられたりしますが、同様の体験は、私たちが自宅の庭で一本の病んだ樹木を眺めている間にも生じ得るのです。私たちが、ある「霊的な」体験をするために、何らかの特定の形に依存するようになる時、私たちは<特別な愛の関係>に捉えられてしまったことになります。

 

最後に、この世界の中で様々な好みを持つということは、それについて深刻になりさえしなければ、少しも悪いことではありません。一つの芸術作品が他のものよりも良い、と言うことはできますし、それぞれの分野で設定されている評価基準に基づいて、特定の音楽作品が他のものより優れているとか、ある教育法は他のものより良いとか、ある医学的治療法がその他よりも優れているとか言ってもかまわないのと同様です。『奇跡講座』の観点からすれば、それら全てが等しく幻に過ぎません。けれども、この世界の中では、ある程度客観的なやり方でものごとを評価するというのは自然なことです。ただし、学ぶべきことは、この世界の中の事物事象について私たちが到達するどんな結論も、深刻には受け止めないようにする、ということです。私たちは、そのすべてが人為的なものだと知っているわけですから、自分の心の中のどこかに優しい微笑みをうかべながら、そうした評価をするようにすべきなのです。

 

 [2010年6月03日]

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