〔用語について〕
いくつかの言葉、特に一なる心の状態に属する言葉は、この世界においては正確な意味を持たず、それらの定義についても、おおよそのことを述べることしかできない。『奇跡講座』が、「言葉は象徴の象徴にすぎない。したがって、言葉は実相から二重に隔てられている」(M-21.1:9-10)と述べている通りである。ここで留意すべきは、これらの用語の多くは、『奇跡講座』の外では違った意味や含蓄で使用されており、それらと『奇跡講座』の用法とを混同すべきではない、という点である。
更には、『奇跡講座』内でも、いくつかの言葉は、それが智識を反映しているか、知覚を反映しているかにより、または、<正しい心の状態>を反映しているか、<間違った心の状態>を反映しているかにより、用法が異なっている。
[訳注:用語解説の中の「智識のレベルにおける意味」と「知覚のレベルにおける意味」、あるいは<正しい心の状態における意味>と<間違った心の状態における意味>という項目は、以上の区別を示しています。]
この『用語解説集』においても、『奇跡講座』と同様の大文字表記が採用されている。従って、三位一体の各位格、すなわち神、キリスト(神の子)、聖霊は常に頭文字が大文字で表記され[訳文においては太字]、それらの代名詞についても同様である。分離した状態にある神の子を示す代名詞は、普通に表記される。また、三位一体に直接関わる言葉、例えば愛、意志、などには、大文字[訳文においては太字]が用いられているが、それらを示す代名詞についてはその類いではない。
[訳注:原文では一般の固有名詞にも大文字が用いられているが、それらについては、訳文では日本語における一般的慣習に従い、普通に表記しました。]
[訳注:以下の解説において “・・・・・” と記されている場合は、「・・・のごとく見えるもの」という意味であり、たとえば “実相” は、「実相のごとく見えるもの」 あるいは 「見せかけの実相」といった意味です。]
*原文ではアルファベット順に並んでいますが、ここでは訳語で検索しやすいようにアイウエオ順に並べてあります。(アルファベット順の英和対訳表は、「アルファベット順」のページをご覧ください。)
あ行
愛 [love]
智識のレベルにおける意味: 神の実存と、神ご自身の被造物との関係の本質であり、永遠不変なるもの。定義や教えることを超越しており、赦しによって罪悪感という帷{とばり}が取り除かれたときにのみ体験され得る、もしくは知られ得るもの。
真の知覚のレベルにおける意味: 幻に過ぎない知覚の世界では不可能なものだが、この世界においても赦しを通して表現される。神から与えられた感情であり、恐れという自我の感情とは対照的なもの。他者との真の繋がりが表現された全ての形態の中に反映される。
『奇跡講座』の発信源であり、講座{コース}における第一人称、「私」。贖罪において自分の役割を最初に完遂した者であり、それゆえに贖罪の計画全体の責任者となった。自分の自我を超越したイエスは、キリストと同一化したので、今では、私達の学びの模範となってくれるとともに、私達が赦したいという願いを抱いて頼るとき、いつでも身近で助けとなってくれる。
(注 - 三位一体の第二位格であるキリストのみと同一視すべきではない。)
怒り [anger]
(「攻撃」を参照)
一なる心の状態 [One-mindedness]
神またはキリストの心。神の延長すなわち一なる子の統一された心。<正しい心の状態>も<間違った心の状態>も超越しており、智識と天国のレベルにのみ存在する。
一体性/一なること/単一性 [oneness]
智識のレベルにおける意味: 神とキリストの実相であり、両者の完璧な一致が天国を構成している。
知覚のレベルにおける意味: 個別の利益を信じる私達の信念を、赦しを通して取り消すときに、この世界に反映される。自分の特別性の想念を取り消して、他者と一つに繋がることは、単に、私達に内在する神の子としての単一性を受け入れることに他ならない。赦しのこのような目的を共有することが、私達の唯一無二の機能であり、それは天国における私達の「創造する」という機能を反映する。
参照:一なる心の状態
癒し [healing]
分離や肉体を実在のものであるかに思わせる「病気の実在性を信じる信念」を、その持ち主である心の中で訂正すること。分離した肉体を見ること --- これが全ての病気の発生源 --- をやめて、「この世界における癒し」という私たちの共有の目的を見ることへと知覚を変化させることで、すなわち赦すことで、他者と繋がったときにもたらされる結果。癒しは、私たちの真のアイデンティティーは肉体ではなく霊であるという信念を土台とする。したがって、肉体や自我だけがなり得る病気というものは、すべて幻に過ぎないものとなる。こうして癒しは、「奇跡に難しさの序列はない」という原理を反映する。
心眼{ヴィジョン} [vision]
肉体を超えて私達の真のアイデンティティーである霊を見る、キリストまたは聖霊の知覚のこと。赦しと無罪性の心眼{ヴィジョン}であり、それを通して<実相世界>が見られる。純粋に内的なものであり、実相を審判するのではなく、受け入れようという決断を反映している。自我が肉体に与える目的(特別性)から、聖霊が肉体に与える目的(赦し)へと移行するという、態度における変化のこと。従って肉眼による視覚と同一視しないこと。
恐れ [fear]
自我の感情であり、神が私たちに与えた感情である愛と対照をなす。自分が犯した罪のゆえに処罰が与えられるだろうと予測して生じる感情であり、私たちの罪悪感がそうした処罰を要求する。自分は処罰を与えられるだけのことをしたと信じることで恐怖が生じ、その恐怖によって、私たちは他者を --- 否認と投影という精神力動を通して --- 攻撃して自分を防衛するようになる。だがそうしたやり方は自分の傷つきやすさや弱さの感覚と恐れを強めるだけであり、恐れと防衛の悪循環を確立することになる。
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か行
神 [God]
三位一体の第一位格。創造主、全ての実存すなわち生命{いのち}の源。父であり、その父性は、神の子キリストの存在により確立される。第一原因であり、神の子が神の結果である。神の本質は霊であり、その霊は全ての被造物により共有される。そして全ての被造物の一体性が天国の状態。
贖罪の最後の段階。全ての兄弟の中にキリストの顔を見ることができた後に、神ご自身により踏み出される最後の一歩の直前に訪れる。私達は赦しを通して神を思い出し、神の臨在を私たちの前から隠していた分離の信念を取り消す。
神の子 [Son of God]
智識のレベルにおける意味: 三位一体の第二位格。私達の真の自己であるキリスト。
知覚のレベルにおける意味: 分離した神の子らとしての私達のアイデンティティー。または、<間違った心>と<正しい心>とを有する自我としての神の子のこと。聖書の言葉である「人の子」が、まれに分離した神の子を意味して用いられる。
神の心 [Mind of God]
神の創造的機能に該当し、自らの創造的エネルギーを提供して霊を活性化させる主体のこと。神の延長としてキリストの心 – 神の想念 – は、神の心の属性である<一なる心の状態>を共有する。分離後は、キリストの心は<一なる心>と<分離した心>の二つに分裂したかに見えた。
神の言葉 [Word of God]
分離に対する神の“答”。この答がもつ異なった側面(例えば、赦し、平安、贖罪、聖霊など)の別称として用いられている。
(注 --- 聖書のようにイエスまたはキリストのことを指してはいない。)
神の想念(複数) [Thoughts of God]
智識のレベルにおける意味: 非空間の次元において、神の心すなわち霊が延長されたもの。被造物のすべてに該当する。私達の真の自己も、私達が創造する被造物たちも含まれる。神の一部として神の想念は神の属性を共有する。すなわち、均一、永遠、無形、創造的、不変といった属性を備える。
真の知覚のレベルにおける意味: まれに<実相世界>の想念のことも指す。例えば、平安、救済、癒し、奇跡など。
神を代弁する声 [Voice for God]
(聖霊を参照)
奇跡 [miracle]
罪や罪悪感や恐れから成る自我の世界を見ることから、聖霊の赦しの世界を見ることへと私達の知覚を移行させる心の変化のこと。心に、原因となるという本来の機能を取り戻すことで、投影を逆転させ、私達がもう一度選び直せるようにする。この世界の法則を超越し、神の法を反映する。私達が聖霊またはイエスと繋がり、私達自身の心や他者の心を癒す手段となることにより達成される。
(注 --- 外的事象の変化として理解されてきた従来の「奇跡」と混同しないこと。)
犠牲 [sacrifice]
自我の思考体系の中心を為す信念の一つであり、「誰かが益するためには、他の誰かが失わなくてはならない」という信念。何かを受け取るためには何かをあきらめなくてはならない(得るために与える)という原則のこと。例:「神の愛を受け取るためには、私達はその代価を支払わなくてはならず、それは、たいてい私達の罪悪感(罪)をつぐなうための受難という形をとる」、「他者の愛を受け取るためには、私達は、特別な愛の取引によって、それに対する支払いをしなくてはならない」など。「誰も失わず、誰もが益する」という救済と正義の原則とは逆のもの。
機能[function]
智識のレベルにおける意味: 創造すること、すなわち神の愛または霊を延長させること。神は子であるキリストを創造し、今度はキリストが父と同じように創造する。私たちは、永遠を貫いて今も進行している私たちの創造するという機能について、贖罪が完了した時に自覚できるようになる。
知覚のレベルにおける意味: 赦し、癒し、贖罪を自分に受け入れること。私たちの特別な機能は、自分の<特別な関係>を赦すこと。聖霊の特別な機能は、それぞれの神の子に自分の特別な機能を思い出させ、贖罪の計画を実行に移すこと。
(*機能{はたらき} [function]の項目も参照してください。)
救済 [salvation]
贖罪のこと、すなわち分離を白紙に戻すこと。私達が、赦しや奇跡がもたらす心の変化を通して、罪や罪悪感が実在すると信じる信念から「救われる」こと。
キリスト [Christ]
三位一体の第二位格。一なる神の子、または一なる子の全体。神がご自身の霊を延長させて創造した自己。父なる神と同じようにキリストも創造するが、キリストは父ではない。父はキリストを創造したがキリストは父を創造しなかったからである。
(注 --- イエスだけを指す言葉ではない。)
参照:被造物たち(複数)、心眼{ヴィジョン}
キリストの顔 [face of Christ]
赦しの象徴。私たちが、自分の罪悪感を投影することなく、キリストの心眼{ヴィジョン}を通して他者を見る時に、その人の中に見られる真に無垢なる顔。それは、私たちが自分の内側に見る無罪性が他者へと延長されたものであり、私たちの物理的な眼に見えるものとは無関係である。
(注 --- イエスの顔、あるいは何らかの外的なものと混同しないこと。)
偶像 [idol]
自我が、私達の真の自己または神の代替にするものの象徴。「神以外の何か、神以上の何かがあり得る、だから神から離れた何かがあり得る」という誤った信念が、人々、ものごと、あるいは概念などとの<特別な関係>の上に投影されたもの。反キリスト。
苦しみ/受難 [suffering]
自我が「肉体は実在し、霊は存在しない」と証明するために用いる基本的な証拠の一つ。肉体が明らかに苦しみや痛みを経験しているように見えるからである。従って、苦痛の中にいるということは、神を否定することであり、他方で、神の子としての真の強さを自覚していることは、苦痛の実在性を否定すること。
(注 --- 「苦しみ/受難」と「痛み」は実質的な同義語として用いられる。)
参照:病気
決断 [decision]
私たちの決断の力が、この世界の囚人である私たちに残された最後の自由である。<決断>は、天国においては知られざるものであるが、この世界では必要なもの。自分たちの源から分離するという私たちが下した決断こそが、修正されなくてはならないものだからである。この修正は、自我の代わりに聖霊を、<間違った心の状態>の代わりに<正しい心の状態>を選択することで達成される。
欠乏の原理 [scarcity principle]
罪悪感の一側面。私達は空虚で不完全な者であり、必要なものが自分には欠けている、という信念。これにより、自分の内側に欠乏を体験するので、それを埋め合わせるために偶像や特別な関係を探し求めることになる。必然的に、剥奪されているという感覚へと投影されることになり、私達は、真実には、自分で自分から平安を取り上げているにも関わらず、他者により平安を奪われていると信じることになる。神の豊かさの原理とは対照的なもの。
幻想/幻影 [illusion]
実在のものであると信じられてはいるが、実はそうではないもの。究極の幻想は神からの分離という幻想であり、この幻想の上に分離した世界の全ての事物事象が存在し、そうした事物事象は知覚におけるゆがみと理解することができる。例えば、<愛を求める呼びかけ>の代わりに攻撃を見ること、あるいは誤りの代わりに罪を見ること、など。この世界に属する様々な幻想/幻影は「肉体には、快楽又は苦痛の源としての独自な価値がある」という信念を強化する。赦しは、一度も存在したことのないものを赦し、全ての幻想を超えて神の真理へと導くので、最後の幻想である。
原因と結果 [cause-effect]
原因と結果は、一方の存在が他方の存在を決定するのであるから、相互に依存している。それだけでなく、原因ではない何かがあるとすれば、それは存在しえないものである。実存するすべてのものからは結果が生じているからである。
智識のレベルにおける意味: 神が唯一の原因であり、神の子が神の結果である。
知覚のレベルにおける意味: 分離(罪)という想念が、苦しみと死の夢の原因であり、そうした夢は罪の結果である。赦しは、罪からはどんな結果も生じていないことを実証することによって、罪を取り消す。すなわち、神の平安と、神と私達の間にある愛に満ちた関係は、他の者たちが私たちに対し為したことから全く何の影響も受けていない。従って、何の結果も生み出していないものであるから、罪は原因ではあり得ず、存在することもあり得ない。
攻撃 [attack]
罪悪感を他者の上に投影する行為を正当化しようとする試み。自分たちには罪悪感がないと感じることができるように、他者の罪深さと罪悪感/有罪性を実証しようとする。攻撃とは常に分離の責任の投影であるから、決して正当化されない。神からの分離の想念そのものを指して用いられることもあり、私たちは、神がその返報として自分たちを攻撃するだろうと信じている。
(注 ---「攻撃」と「怒り」は、ほぼ同義語として用いられる。)
親交/コミュニケーション[communication]
智識のレベルにおける意味: 創造と同義語。一つになった私たちと神との関係の表れであり、霊と愛の流れにたとえることができる。霊だけが親交{コミュニケーション}を行うことができるのであり、その成り立ちからして分離したものである自我には、それができない。
真の知覚のレベルにおける意味: 私たちは、自らの正しい心の中で聖霊の愛が自分を通して共有されるにまかせることにより、聖霊を通して親交{コミュニケーション}を経験する。
心 [mind]
智識のレベルにおける意味: 霊とおおよそ等しいものであるが、自らの創造的エネルギーを供給して、霊を活性化させる主体を表す。
知覚のレベルにおける意味: 選択の主体。私達には自分の心が神の心から分離・分裂すること(間違った心の状態)も、神の心へ戻ること(正しい心の状態)もできると信じる自由がある。だから分裂した心には三つの部分があると理解することができる。<誤った心>と<正しい心>、そして、この二つのうちのどちらかを選択する心(決断の主体)の三者である。頭脳と混同しないこと。頭脳は肉体器官であり、私達の肉体としての自己の一側面である。
参照: 神の心
答 [Answer]
(「聖霊」を参照)
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さ行
罪悪感 [guilt]
罪との関連で経験される気持ち。私たちの心の罪悪感は、自分自身に対し抱いている全ての否定的な感情や信念の内に反映されているが、その大半が無意識のものである。自分は生来、無価値だという感覚に基づいており、神の赦しの力さえそこには及ばないように思えている。そしてその神は、私たちが犯したかに見える分離の罪に対し処罰を要求すると、私達は誤って信じている。罪悪感に目を向けることは私たちを破滅させることだという自我の忠告に従い、私たちは自分の心の中にそれが存在することを否認し、そうして、それを攻撃という形で外に投影する。その攻撃は、怒りとして他者に向けられるか、さもなければ病気として私たち自身の肉体に向けられることになる。
参照:欠乏の原理
最後の一歩 [last step]
神に属するこの一歩は贖罪が完全となり、自我による全ての妨害が取り除かれた時に生じる。私達を神から引き離すものが何も残存しなくなるとき、神ご自身がこの一歩を踏み出し、私達をご自身のもとに引き上げてくれる。厳密に言えば、神は歩くことはしないので、実際にはこの言葉は、私達が本当は一度も離れたことのない私達の源に回帰する、という私達の体験を指している。
最後の審判 [Last(Final) Judgment]
智識のレベルにおける意味: 審判と処罰という伝統的キリスト教による見方とは対照的なものであり、すべての神の子と神との愛に満ちた関わり --- 神の最終的な審判 --- を反映する。
真の知覚のレベルにおける意味: 審判と処罰という伝統的キリスト教による見方とは対照的なものであり、贖罪の最後の部分。すなわち、再臨に続いて、真理と幻影が最終的に弁別され、全ての罪悪感が取り消され、生ける神のひとり子キリストとしての自覚が私達に取り戻される時のこと。
再臨[Second Coming]
<一なる子>の心が癒されること。私達が、一なる神の子としての自分たちの実相を自覚した状態へと、集合体として回帰することであり、私達は創造されたとき、すなわち最初の降臨において、この自覚を有していた。最後の審判の後、この幻影の世界が終わるが、再臨はその最後の審判に先行する。
三位一体 [Trinity]
その三つの位格の一体性については、この世界の中では理解不可能。1)父であり創造主である神、2)神の子であるキリスト、3)神を代弁する声である聖霊から成る。
死 [death]
間違った心の状態における意味: 肉体、および「生命{いのち}そのものである私たちの創造主からの分離」の“実在性”を最終的に証言するもの。もし肉体が死ぬのであれば、その前にそれは生きていたことになり、そうすると、その作り主(自我)も実在し生きている、ということになる。自我は死を、神からの分離という私たちが犯した罪のゆえに与えられる究極の罰と捉える。
正しい心の状態における意味: 肉体が、一個の教育の手段としてその目的を達成した後、静かに横たえられること。
幸せな夢 [happy dream]
自我による痛みや苦しみの夢を訂正するための聖霊の手段。幸福な夢も依然として幻に過ぎないが、この夢はその他の全ての幻影を超えて、真理へと導く。赦しの夢であり、この夢の中で、ついに実相世界が見られ、救済が達成される。
自我 [ego]
<分離した自己>、または<偽りの自己>が実在すると信じる信念のことであり、こうした“自己”は神が創造した真の自己の代替として作り出された。罪、罪悪感、恐れ、および、自分を保護するための特別性に基づく思考体系を生起させている<分離の想念>のこと。私達の心の一部分が「自分は、キリストの心から分離している」と信じており、心のその部分を自我と呼ぶ。この分裂した心には、更に<間違った心の状態>と<正しい心の状態>という二つの部分がある。ほとんどの場合、<間違った心の状態>のことを指すが、分離した心の一部でありながら<正しい心の状態>を選ぶことを学ぶ部分を含むこともある。
(注 --- 精神分析における「自我」と同じではないが、精神分析における「自我」がその一部をなす「精神(psyche)」の全体が、ここで言われる自我におおよそ一致すると言える。)
【訳注】「自我」は原文ではegoであるが、上記の解説からもわかる通り、「エゴ」と音訳された場合に想定されるような、私たちの中の利己的な側面だけを意味してはいない。私たちが善意とみなしていることなども、『奇跡講座』の定義によれば、この「偽りの自己」である自我の領域に含まれる。それゆえ、egoは、「エゴ」ではなく、「自我」と訳出している。
自我を直視する [looking at the ego]
赦しの本質であり、裁くことのない聖霊またはイエスの優しさと忍耐とをもって、私達の自我の思考体系を見ること。罪悪感こそが、自分の特別性を直視させず、自我の真の性質を隠れたままにして、自我を維持させるものであるから、私達の攻撃の想念を審判せずに直視することこそが、自我を無に戻す。したがって、罪悪感や恐れを持たずに自我を見つめることが贖罪の本質である。
参照:闇(幻想)を光(真理)へと運ぶ
自己 [Self]
神の子としての私達の真のアイデンティティー。キリスト、すなわち三位一体の第二位格の同意語であり、神の被造物の代用品として私達が作り出した自我とは対照的なもの。まれに神の自己のことを指して使われる。
実相世界 [real world]
全面的な赦しを通して得られる心の状態のことであり、その状態においては知覚の世界が自分の投影していた罪悪感から解放されている。すなわち、変わったのは世界ではなく心であり、そこでは、私達はキリストの心眼{ヴィジョン}という、とがめるのではなく祝福する眼差しを通してすべてを見る。聖霊の幸せな夢。贖罪の終わるところ、すなわち私達の分離の想念が白紙に戻され、神が最後の一歩を踏み出せるようになる地点。
十字架刑 [crucifixion]
神と神の子に対する自我の攻撃の象徴であり、この世界が顕現しているかに見える、苦しみ、犠牲、迫害、死などの“実在性”を証しするもの。更には、イエスの殺害のこと、すなわち「死は生命{いのち}に優る力をもたないので、私たちの真のアイデンティテイーである愛は決して破壊できない」ということを教えた極端な実例のことも指す。
贖罪 [Atonement]
自我を取り消し、分離への信念を癒すための、聖霊による訂正の計画。分離の後に存在するようになり、神の子の全員が、全面的な赦しによって、贖罪における自分の役割を果たした時に完了する。贖罪の原理は、「分離は一度も起こらなかった」ということ。
神聖な関係[holy relationship]
<非神聖な関係>または<特別な関係>を取り消すための聖霊の手段であり、その関係のゴールを、罪悪感から赦しまたは真理へと変化させることによってこれが取り消される。赦しのプロセスであり、これを通して、他者Bを分離した者として知覚していた人Aが、A自身の心の中で、キリストの心眼{ヴィジョン}を通してBと繋がる。
真の知覚 [true perception]
キリストの眼差し、すなわち<赦しの心眼{ヴィジョン}>を通して見ること。<赦しの心眼{ヴィジョン}>は、神の子の真の一体性を反映することで、分離という自我の誤った知覚を修正する。肉眼による視覚と同一視してはならない。<真の知覚>は罪悪感の投影を取り消す態度のことであり、それにより、私達は、罪、恐れ、苦しみ、死からなる世界の代わりに<実相世界>を見ることができるようになる。
参照:知覚
審判/裁き/判断 [judgment]
智識のレベル: 厳密に言えば、神は裁かない。神が創造するものは完璧であり、神とひとつだからである。『奇跡講座』で言われる神の審判とは、神が神の子を、永遠にご自身とひとつの愛しいわが子として認識する、ということを反映するもの。
知覚のレベル:
間違った心の状態における意味: 人々を憎むべき者たちと“愛される”べき者たちに二分する有罪判決のことであり、常に過去に基づいて下される裁きのこと。
正しい心の状態における意味: 人々を、<愛を表現している者たち>か、さもなければ<愛を求めて呼びかけている者たち>のどちらかとして捉える心眼{ヴィジョン}のことであり、聖霊により喚起される、常に現在に基づいた判断のこと。
参照:最後の審判
真理-幻影/幻想 [truth-illusion]
どんなものでも、それは真か偽か、すなわち実相か幻想かのどちらかでしかない。私達は神により創造されたか、さもなければ自我に作り出されたかのどちらかであり、この点に妥協はない。この原則が、なぜ「奇跡に難しさの序列はない」のかということの理由を説明している。癒しや奇跡が生ずるために必要なのは、自我の幻想/幻影から聖霊の真理へと移行することだけだからである。
正義 [justice]
この世界の不正義を聖霊が訂正すること。神の子らは等しく愛され、等しく神聖であるという信念であり、分離に基づいた裁きを白紙に戻す。犠牲および「或る者の利益は他の者の損失」という信念の終わり。「救済の土台となる岩」と呼ばれる。
聖なる瞬間 [holy instant]
時間の外にある瞬間のことであり、私たちが罪悪感の代わりに赦しを、不平不満の代わりに奇跡を、自我の代わりに聖霊を選ぶことで訪れる瞬間のこと。現在に生きようという<わずかな意欲>の表われ。現在に生きることは、永遠へと開かれていくことであるのに対し、過去にしがみつき未来を恐れて生きることは、私たちを地獄につなぎ止めている。究極の<聖なる瞬間>、すなわち私たちが道すがら選んできた全ての<聖なる瞬間>の頂点として経験される<実相世界>のことも指す。
聖霊 [Holy Spirit]
三位一体の第三位格であり、『奇跡講座』においては、比喩的に、分離に対する神の答と説明されている。神と神の分離した子らの間の絆であり、キリストの心と私たちの分離した心の間の隔たりに架橋する。私たちが夢の中へと携えてきた神と神の子の記憶。私たちの幻想/幻影(知覚)を見た上で、私たちがそれを通り抜け、真理(智識)へと至ることができるよう導いてくれる存在。神および私たちの真の自己を代弁する神のための声であり、私たちが忘れてしまったアイデンティティーを私たちに思い出させる。架け橋、慰め手、導き手、仲介者、教師、翻訳者とも呼ばれる。
世界 [world]
レベルI: 分離を信じる自我の信念の結果であり、分離が自我の原因である。分離および神に対する攻撃の想念が形となったもの。この世界は、時間と空間を信じる信念の表現であるから、時空を完全に超越した神が創造したものではない。具体的に<智識の世界>と言及されていない限りは、分離後の自我の領域である知覚の世界のことだけを指す。
レベルII:
間違った心の状態における意味: 分離の牢獄であり、この牢獄が罪と罪悪感を信じる自我の信念を補強し、この世界が存在しているように見える状態を持続させる。
正しい心の状態における意味: 私達が赦しのレッスンを学ぶための教室であり、私達がこの世界を超えられるよう助けるための聖霊の教育手段。従って、この世界の目的は、世界が存在していないことを私達に教えること。
参照:実相世界
創造/被造物(単数形)* [creation]
第一原因である神の実存すなわち霊が延長されることによって、神の子という結果を生じさせた延長のこと。キリストの最初の降臨と称される。子を創造することが神の機能であるように、天国における神の子の機能は創造することである。
(注 --- これは智識のレベルにおいてのみ存在するものであり、この知覚の世界で用いられている「創造」あるいは「創造性」などという言葉と同じ意味ではない。
参照:被造物たち(複数形)
[*英語のcreationは、創造するという行為だけでなく創造されたもののことも意味しており、『奇跡講座』においても同様に、創造という行為と被造物との両方に用いられている。ただし、注に説明されている通り、これらが何を真に意味しているかは、この世界においては理解不可能]
「想念はその源から離れない」 [“ideas leave not their source”]
原因と結果は決して分離できない、という原因と結果の法則が表現されたものであり、想念はそれを思考した心から離れ去ることはできない、ということ。
智識のレベルにおける意味: 神からのものは決して神から分離することはできないので、神の想念の延長である神の子は一度もその源から離れ去ったことはない。
知覚のレベルにおける意味: この分離の世界は心の外側にあるように見えているが、実はその源である分離した心から一度も離れ去ったことはない。従って、物質的な世界というのは存在しておらず、分離の想念という幻想の投影が存在するだけである。
間違った心の状態における意味: 攻撃によって罪悪感を自分の心の外へと投影することは、罪悪感を抱いた心の中で更にその存在感を強めることになる。
正しい心の状態における意味: 聖霊の愛を、赦しを通して延長させ、他者の中に聖霊を見ることにより、私達の内なる聖霊の愛に満ちた臨在がよりはっきりと自覚されるようになる。
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た~な行
正しい心の状態 [right-mindedness]
私達の分離した心の中にあって、聖霊 --- 赦しと理性の声 --- を内包している部分。私達は、<間違った心の状態>の代わりにこちらを選び、自我ではなく聖霊の導きに従って、キリストの<一なる心の状態>に戻るように、と繰り返し求められる。
知覚 [perception]
レベルI: 分離後の、形態と差異のある二元的な世界であり、一元的な智識の世界とは互いに相容れない関係にある。この知覚の世界は、私達の分離を信じる信念から生起しており、この想念の外側では全く実在性のないものである。
レベルII: 投影から生じる。すなわち、私達が内側に見るものが、私達が自分の外側に見るものを決定する。従って、知覚を決定するものは、客観的に実在するかに見えているものそれ自体ではなく、“実在するかに見えているもの”についての私達の解釈である。
間違った心の状態: 罪と罪悪感を見る知覚は、分離が実在すると信じる信念を強化する。
正しい心の状態: 赦しの機会を見る知覚は、分離が実在すると信じる信念を取り消す。
参考:真の知覚
智識 [knowledge]
天国のこと。または、分離以前の、神および神の統一された被造物の世界のこと。そこにはどんな差異もなく、形態というものもない。従って知覚の世界は含まれていない。一般的に用いられている「知識」と混同しないこと。一般的な「知識」は、知る側である主体と、知られる側である客体という二元論を示唆している。『奇跡講座』においては、智識は、主–客という二分法を持たない、純粋に一元性の体験を反映する。
参照:天国
罪 [sin]
神からの分離が実在すると信じる信念のことであり、自我によれば、これは創造主に対する私達の攻撃であり、神は私達を決して赦さないのだから、修正不可能な行為とされる。罪悪感へとつながるものであり、罪悪感は処罰を要求する。分離の同義語。自我の思考体系の中心をなす概念であり、ここから他のすべての概念が論理的に導き出される。聖霊にとっては、訂正され、赦され、癒されるべき、私達の思考の誤り。
天国 [Heaven]
一元的な智識の世界であり、そこには神と神の被造物たちが、神の意志と霊の完璧な一致の内に住まう。知覚の世界は含まれないが、この世界においても天国は<神聖な関係>や<実相世界>という形で反映される。
投影 [projection]
「投影が知覚を作り出す」という、心の根本的な法則。すなわち、私達が内側に見るものが、私達が自分の外側に見るものを決定する。
間違った心の状態: 罪悪感を自分以外の者の上に転位させ、そこでそれを攻撃して、それが自分自身の心の中に存在していることを否認するが、それにより罪悪感は強化される。分離の責任を自分自身から他者の上へと移し替えようとする試み。
正しい心の状態: 聖霊による赦しが私達を通して延長される(投影される)ようにすることで罪悪感が取り消される、という延長の原則。
特別な関係[special relationships]
私達が罪悪感を投影する対象となる様々な関わりのこと。愛の代替および神との真の関係の代替にされている。この関係は<欠乏の原理>を信じる信念を取り消すように見えるが、実はそれを補強する<防衛>に他ならず、その防衛で身を守ることによって避けようとしているはずのことを、それ自体が行なっている。<特別な関係>は、自分自身の中に知覚した欠如を、他者から奪うことによって埋めようとする試みであり、そこにおいては、他者は必然的に分離した者と見られている。それによって、神からの分離と信じ込まれているものを究極の源とする罪悪感が、更に強められることになる。そしてこの「神からの分離を信じること」が攻撃の想念であり、私達が感じる欠如という感覚の起源である。この世界におけるすべての関係は、特別なものとして始まる。どの関係も分離と相違の知覚から始まるからである。その後、赦しを通して、聖霊に訂正してもらい、その関係は神聖なものとなる。特別性には次の二つの形態がある。<特別な憎悪>は、攻撃による罪悪感の投影を正当化する。<特別な愛>は愛のように見える幻想の中に攻撃を隠蔽する。愛の幻想の中では、私達は、特別な属性を有する特別な人々により自分の<特別な必要>が満たされると信じ、そのゆえに彼らを愛する。この意味では、<特別な愛>はおおむね依存関係に等しく、軽蔑や憎しみをもたらす。
な 行
肉体 [body]
レベルI: 自我が具体化されたもの。心により投影された分離の想念が、形となったもの。愛に課せられた制限に他ならない肉体は、私たちが愛を自覚できないようにさせており、それによって、分離の見かけ上の実在性を証言する。私たちの物理的な肉体と個人としての人格(心理的側面)の両方の意味が含まれる。
レベルII: 本質的には「善」でも「悪」でもなくニュートラルなものである。肉体の目的は、心によって定められる。
間違った心の状態: 罪悪感と攻撃の象徴
正しい心の状態: 赦しを教えたり学んだりするための手段であり、それによって自我の罪悪感が取り消される。救済の道具であり、この道具を通して聖霊が語る。
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は行
橋/架け橋 [bridge]
知覚から智識への移行の象徴であり、様々な文脈で、聖霊、<実相世界>、<神の最後の一歩>などと同義に用いられる。誤った知覚から<真の知覚>や<実相世界>への転換を意味して使われることもある。
機能{はたらき} [function]
智識のレベルにおける意味: 創造すること、すなわち神の愛または霊を延長させること。神は子であるキリストを創造し、今度はキリストが父と同じように創造する。私たちは、永遠を貫いて今も進行している私たちの創造するという機能について、贖罪が完了した時に自覚できるようになる。
知覚のレベルにおける意味: 赦し、癒し、贖罪を自分に受け入れること。私たちの特別な機能は、自分の<特別な関係>を赦すこと。聖霊の特別な機能は、それぞれの神の子に自分の特別な機能を思い出させ、贖罪の計画を実行に移すこと。
〔訳注〕functionの訳し方について: 「ワークブック編」では、functionの訳語には、「機能{はたらき}」とルビがふられていますが、「テキスト編」と「マニュアル編」では、ただ「機能」となっています。この理由について、簡単に述べておきます。 本来、functionには、「相互に関連し合って全体を構成している各部分がもつ役割や働き」というような意味があります。そのニュアンスを保つために、訳語としては「機能」という言葉を用ることが必要でしたが、「ワークブック編」においては、演習課題という文脈で、単に「機能」とすると、機械的、非人間的な印象になりすぎると思われました。そのため、「機能」という言葉は保ちつつも、普通の「役割」や「役目」というニュアンスを加えるために、「はたらき」というルビをふってありました。他方、「テキスト編」においては、functionは、もっと多様な文脈で使われており、「機能」のみでもよいと思われる文脈もありました。けれども、、ルビつきとルビなしに訳し分ける作業は複雑になるため、「テキスト編」ではルビなしの「機能」のみで一貫させることにし、「マニュアル編」においてもそれに倣いました。被造物たち(複数形)[creations]
私たちの霊が延長されたもの。私たちの創造行為の結果であり、私達の創造も、神がご自身を延長させて神の子を創造したときの創造に類似する。キリストが延長されたものである私たちの被造物たちは、三位一体の第二位格の一部をなす。創造は、時間も空間も超えた天国において、今も進行しており、それを神の子がこの世界の中で自覚していなくても、何ら影響されることなく続いている。
参照:創造/被造物 (単数形)
否認/否定 [denial]
間違った心の状態における意味: 罪悪感を作り出した決断を自覚の外に追いやることによって、罪悪感を避けようとすることであり、それにより罪悪感が訂正からも贖罪からも遮断されてしまう。「抑圧」とおおよそ同義語。「神ではなく自我が私たちの源である」という自我の信念を保護するために用いられる。
正しい心の状態における意味: 誤りを否定し、真理を肯定するために、すなわち「真理の否定」を否定するために用いられる。
病気 [sickness]
心の中の葛藤(罪悪感)が肉体の上に置き換えられたもの。肉体のみに注意を向けることで、真理(霊)に対抗して自分を守ろうとする自我の試み。病気の肉体は、その原因である病んだ心または分裂した心の結果。それが表わしているのは、攻撃の責任を他者に投影し、自分を犠牲にして他者を有罪にしようとする自我の願望。
参照:苦しみ/受難
不安定な時期 [periods of unsettling]
私達の罪悪感や恐れは、聖霊が用いる赦しの機会を通して、それらと取り組むことがなければ取り消せない。この、聖霊またはイエスと共に私達の心の中を正直に見ること---自我が勧めるのとは逆のプロセス---が、<間違った心の状態>から<正しい心の状態>へと移行するプロセスにおいて、私達がほとんど必然的に経験する<不安や心配の時期>をもたらすことになる。
復活 [resurrection]
死の夢から目覚めること。心の中における全面的な変化。それは自我を超越し、自我によるこの世界や肉体や死の知覚をも超越するようになる変化であり、それにより私達は自らの真の自己と完全に同一化できるようになる。イエスの復活のことも指す。
プロセス [process]
『奇跡講座』は、分離の夢の中では、赦しには時間がかかるということ、従って、赦しとは成長するプロセスである、ということを強調している。神の愛に対する私達の恐れは余りに大きいために、自分を守ろうとして自分の特別性の想念にしがみつく。だから私達は、「自我の罪悪感や攻撃は苦痛を強めるけれど、聖霊の赦しは喜びに導く」ということを、ゆっくりと忍耐強く学んでいかなくてはならない。
参照:不安定な時期
分離 [separation]
罪 --- すなわち、創造主から分離したアイデンティティーがあるということを肯定するもの --- が実在すると信じること。かつて一度起こったことのように見えており、この概念から生じた思考体系が自我として表れている。分離の結果として生じたのが、知覚と形態の世界、すなわち痛みや苦しみや死の世界であり、この世界は時間の中では実在性があるが、永遠においては知られざるもの。
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ま~わ行
魔術 [magic]
問題を、その問題が存在していないところで解決しようとする試み。例えば、心の中にある問題を物理的な手段、すなわち「心を伴わない」手段によって解決しようとすること。すなわち、真の問題 — 分離の実在性を信じる信念 — を、神の答から離しておこうとする自我の戦略。罪悪感を聖霊のもとに運ぶことによって私達の心の中でそれが取り消されるようにするのではなく、罪悪感を私達の心の外側の誰かの上に投影したり(攻撃)、私達の肉体の上に投影したり(病気)して、そこで訂正されるようにしようとすること。『祈りの歌』の中では<偽りの癒し>と呼ばれる。
間違った心の状態 [wrong-mindedness]
私達の分離し分裂した心の、自我 --- 罪、罪悪感、恐れ、および攻撃の声 --- を含んでいる部分のこと。私達は、<間違った心の状態>の代わりに<正しい心の状態>を選ぶようにと繰り返し求められる。<間違った心の状態>は、私達を分離の世界の中へと更に堅く閉じ込める。
目覚め [awakening]
『奇跡講座』は、分離のことを、<私たちが目覚める必要のある夢>であるとする。従って、救済は、私たち自身や兄弟たちの中に聖霊の声---目覚めるようにという呼びかけ---を聞くこと、すなわち、そのようにしてお互いとの一体性を受け入れ、始まりにおいて夢を生起させた分離を取り消すことから成る。
や行
闇(幻想/幻影)を光(真理)へと運ぶ [bringing darkness (illusions) to the light (truth)]
否認と解離を取り消すプロセスのこと。「自分の罪悪感を聖霊の光のもとに運び、そこでそれを直視して赦すことができるようにしよう。自分の心の無意識の闇の中という、決してそれを見ることも取り消すこともできないところで恐る恐るそれを持ち続けるようなことはすまい」という決断を表す。幻想/幻影の中で生きることは病と苦痛をもたらし、それらを真理へと運ぶことは癒しと救済をもたらす。
夢 [dream]
分離後の状態のことであり、その中で、神の子は、罪・罪悪感・恐れの世界の夢を見て、それが実相であり天国は夢だと信じている。夢を見る者となっている神の子は、世界という結果をもたらしている原因である。しかし、この原因と結果の関係は、この世界の中ではその逆のように見え、私たちがこの世界の結果であり、被害者であるように思える。時に、睡眠中に見る夢のことも指すが、それらと目がさめている時に見ている夢との間に真の違いは存在しない。どちらの夢も、幻想に過ぎない<知覚の世界>に属するものだからである。
参照:幸福な夢
赦し [forgiveness]
聖霊またはイエスと共に、罪悪感も裁きも介入させずに、自分の特別性を直視すること。他者の上に投影していた罪悪感を全て取り去り、「敵」(特別な憎悪の場合)か、さもなければ「救済者 - 偶像」(特別な愛の場合)として彼を見ていた知覚を、兄弟を見る知覚へと変化させることであり、それが私たちの特別な機能。「分離を反映した見かけ上の差異を超えたところに視線を向け、<一なる子>の内に全ての人々が一つに結ばれているところを見る」という奇跡あるいは<キリストの心眼{ヴィジョン}>の表現。従って、罪を実在するものとして知覚することは、真の赦しを不可能にすること。「自分が書いた台本に対し責任があるのは自分であり、神の平安を自分から奪えるのは自分だけであるから、私たちが自分に対し為されたと思っていたことは、自分で自分に対し行なったことだった」と認識すること。そうして、私達は他の人々が私達に対し為したことについて彼らを赦すのではなくて、彼らが本当は何も為さなかったがゆえに赦す。
参照:自我を直視する
ら行
理性 [reason]
正しい心の状態:聖霊と一致する思考のことであって、聖霊の導きに従い、聖霊の赦しのレッスンを学ぶことを選択し、罪ではなく無罪性を見て、裁きの代わりに心眼{ヴィジョン}を選ぶ思考。
(注 --- 合理主義と混同しないこと。)
霊 [spirit]
私達の真の実相の本質が霊であり、霊は神からのものであるから永遠不変のもの。肉体とは対照的なものであり、自我の具現化されたものである肉体は変化して死にゆくものである。神の心の中の想念、すなわち統一されたキリストのこと。
わ行
笑い声 [laughter]
『奇跡講座』は、自我や自我の世界を深刻に受け取らないように、と私達に要請する。なぜなら、深刻に受け取ることは、それらを私達の心の中で実在性のあるものにするからである。それよりも、私達に求められているのは、自我の思考体系やその結果のごとく見えるものなどに対して、優しい笑い声で向かい合うようにすることであり、ついには「小さな狂った考え」を一笑に付すということを思い出すことである。