『奇跡講座』の原稿の歴史

 

 

Ⅲ . 編集作業

 

ヘレンとビルと私は、ビルが初めにタイプしたものを、「初めの」という意味のドイツ語「ur」に由来する「ウルテキスト」(Urtext: 原本) という言葉で呼んでいました。この言葉は、「最初の原稿」という意味で使われるようになっています。すべての言葉を正しく書き留めたかどうかを確認するために、ビルはヘレンに、自分がタイプしたものを復唱しました。時には、ノートに書かれていてもヘレンが読み上げない箇所がありましたが、彼女がのちに私に話したところによれば、それがそこに属していないことがわかっていたから、とのことでした。また時々、彼女はノートに書かれていないことを直接ビルに口述したこともあります。

 

私がこうしたことを述べているのは、ヘレンがすべての言葉が神聖だと考えていたわけではない、ということを強調したいからです。ヘレンにとっては、初期の口述記録の多くが個人的なものだということは明白でしたし、時々自分が邪魔をしていたということもはっきりわかっていました。もう一度言いますと、初期に書かれたものは、ぎこちなくて一貫性がありませんでした。その一例ですが、ヘレンは次のように書き留めたことがあります。「奇跡は鋼鉄のクモの巣である」。そのあとイエスは彼女に「そんなことを私は言っていない」と言い、それを訂正しました。最初のころは、筆記は日常会話的なものだったので、そうしたことがたくさんありました。 

 

その後、ヘレンはテキストを二度清書し、その過程で、イエスの指示に従っていくらかの編集が行なわれました。彼女にとっては、それは夜にやることでしたし、ある意味で気晴らしのようなものでした。彼女は気を紛らわせることが好きでしたが、その傾向は、彼女が形態に注意を払い、内容を避けていたことにも見られました。実際、彼女はビルに次のように言ったものでした。「あなたはそれが何を言っているかに注意を払ってね。私はそれがどのように言っているかに注意を払うわ」と。彼女は、書き取られたものの詩的な性質に、いつも誇りを持っていました。 

 

彼女は、書き取られたものの詩的な性質に、
いつも誇りを持っていました。

 

その当時は出版する考えはなかったにも関わらず、イエスは、ヘレンとビルの両方に非常にはっきりと、次のように言いました。何であれ個人的なことや具体的なことは、出版される本には収録されるべきではない、と。けれども、この筆記がヘレンとビルだけのためではない、ということは、ある時点から明白になりましたから、彼らは、実際の教えに属さない部分は、すべて取り除くようにと、明確に指示されました。それは賢明なことでした。というのは、そのほとんどが個人的なものであり、他の誰かが見ることは意図されていなかっただけでなく、ヘレンが百も承知だったように、彼女の自我がはっきりと介入していたからです。 ワークブックの方は、何の変更も必要としませんでした。ワークブックはかなりわかりやすいものでしたし、マニュアルも同様でした。その頃には、ヘレンの筆記は本調子となっていて、言ってみれば、筆記作業は彼女を通して流れるように行なわれていたからです。

 

すでに述べたように、ヘレンとビルは、ヒュー・リン・ケイシーと親しくなっていました。ヒュー・リンは典型的な南部地方の紳士でしたし、明らかに自分の父親の業績に献身していました。彼は、ヘレンが為したことを大きく支援していましたし、ヘレンから感銘を受けていました。このことに関連して、ちょっと微笑ましい話があります。二回目か三回目に、ヘレンとビルが彼に会うためにヴァージニア・ビーチを訪問した時だったと思いますが、ヘレンがその時までに書き留めたものをいくつか彼に見せました。そして彼は感銘を受け、彼の父親がそれと何らかの関係があると信じました。ヘレンの初期の筆記に見られる文体的特異性の一つは、明らかにケイシー的な表現を含んでいて、エドガー・ケイシーの語り口と似ていたという点です。

  

『奇跡講座』が読みにくいと思われる人は、試しにケイシーのものを読んでみれば、このコースはまだましだとわかるはずです。ケイシーの文書資料にはたくさんの古風な表現が用いられていますし、ヘレンは、ケイシーの著作をいくつか読んでいたので、彼から影響を受けていました。ですから、テキストの初めのほうにはその影響が見られますが、それはすぐになくなっていきます。

  

それで、その訪問のとき、ヒュー・リンのオフィスを後にしようとしていたヘレンがそわそわと落ち着きがなく不安げな様子だったので、ヒュー・リンは彼女に次のように言ったのです。「あなたは間違いなく非常に進歩した魂だと思いますが、とてもそのようには見えませんね」と。これはヘレンがまとっていた「衣装」の一部でした。ヘレンが「非常に進歩した魂」のように見えなかったことは確かですが、彼女には、はっきりと威厳を感じさせる雰囲気がありましたし、それは彼女を知っている誰にとっても疑いようのないことでした。しかし彼女は典型的な神経症患者、それも恐怖症で心配性の人のように振舞いましたし、何に対してもすぐに批判的になりました。しかも、それは、この高尚な作品が、彼女を通してもたらされていたのと同時期のことなのです。

 

清書するプロセスの初めの頃に、イエスはヘレンに、「編集についての決定はビルに任せなさい」と言いました。その頃、ビルはこのコースに関しておおむね良識をもっていましたが、ヘレンはそうではありませんでした。彼女だったら、自分が読んで「正しい」と感じられるもの以外はすべて取り去っていたことでしょう。この指示は、ヘレンがひどく不安に感じていた最初の原稿についてのものでした。そこに収録されるべきではない初期のメッセージを取り去ることに関して、ヘレンは明晰に判断することができそうもなかったが、ビルの方は明晰だった、ということです。ただしこのことは、もちろん、ビルがすべての編集を行うべきだということを意味していたわけではありません。編集作業は彼の得意とするところではありませんでした。彼ら二人のチームにおいては、ヘレンが編集者でした。ビルには、編集作業に要する忍耐力がなかったのです。実際、ヘレンとビルは数多くの専門的な論文を発表しましたが、彼らが論文を書くときにはビルが大まかな草稿を書きました。そのあとヘレンがそれを辛辣に批評し、編集し、またさらに編集し直しました。これは、すでに気難しいものだった彼らの関係におけるさらなる緊張の源でした。彼らは四六時中、議論することになったからです。

 

ヘレンは実際、頑固な編集者でした。そのことに関して、面白い話があります。ある時、私には友人と昼食の約束があり、ヘレンはそのことを知っていました。私がオフィスを出ようとした時、ヘレンは電話中だったので、私は彼女に、もう出かけると知らせるための非常に短いメモを書きました。すると彼女は、少しも会話を中断することなく、鉛筆を取り出して、そのメモを編集し始めたのです!

 

『奇跡講座』については、ヘレンは、編集にかかわる決定は決して自分では下しませんでした。これが自分の本ではないということが、彼女にははっきりとわかっていたのです。彼女は、自分のものではないとわかっている内容に関しては責任がないが形態の方だけには責任を持つ、と宣言してはいましたが、イエスが祝福していないと感じられるようなことは、このコースに対して何もしませんでした。何を残し、何を取り去るべきかに関するビルからの意見についても、同じ原則が適用されました。編集が進むにつれて、テキストは最初、4巻の論文用のバインダーに収納されました。ヘレンが人々に見せてもいいと思ったのは第4巻だけでしたが、それはそのあたりの文面がとても美しかったからです。

 

ヘレンとビルは、ヒュー・リン・ケイシーのために、一冊のテキストを(そしてのちにはワークブックとマニュアルも)用意しました。私たち(ヘレンとビルと私)はそれを、以前の原稿と区別するために、ヒュー・リン・ケイシー版と呼ぶようになりました。ですから、このバージョンには、ヒュー・リンの支援に対する感謝の気持ちを表明した脚注が付加されています。礼儀正しく誠実な一冊ではありましたが、それは明らかに、ヒュー・リン・ケイシーのためだけに用意されたものでした。また、このバージョンの中には、初期の古風な表現も残されていて、そこでは、「聖霊」が、「霊的な目」と呼ばれていました。それは単に、ヘレンが「聖霊」という言葉について神経質になっていたからです。ですから彼女は、婉曲表現として「霊的な目」を使いました。これはたしか、ケイシーが使っていた言葉だと思います。この言葉は、初めの方のセクションで使われただけで、その後はなくなりましたが、ヒュー・リン版用には残されていました。そうしてヘレンはその言葉を「聖霊」に置き換えることにしました。

 

私は、1972 年の晩秋にヘレンとビルに会いました。その時の私は、旅行の最中で、中東へ行く途上にありました。1973 年5 月に帰ってきたとき、私は初めて『奇跡講座』を目にしました。そして私が見たのはこのヒュー・リン・ケイシー版でした。私はそれを二回通読しました。読んだのは、テキスト、ワークブック、そして教師のマニュアルです。1973 年の秋、二度目の通読の後に、私はヘレンとビルに、いくつもの理由により、この原稿はもう一度編集される必要があると思う、と言いました。

   

  大文字の使用に関しては呆れるほどに一貫性を欠いていました。ヘレンは、ごくわずかな例外を別にして(これらの例外についてはいずれ言及します)、大文字の使用〔訳注1〕、句読点、段落の区切り、見出しなどについては、イエスから任されていると感じていました。なぜなら、テキストは、タイトルも区切りもなしに、つまり、セクションや章や段落がないままに、口述されていたからです。ヘレンは、それは自分の仕事であり、事実上、イエスが気にかけているのはメッセージそのものだけで、コンマやセミコロンや段落などは気にしていないと感じていました。ですからヘレンは、大文字にしたり、句読点を打ったり、段落に分けたりしましたし、ビルとともに、セクションや章の題名を付けることもしました。

 

------------------------- 〔訳注1〕:邦訳版『奇跡講座』においては、原書で頭文字が大文字となっている単語は、太字となっている。

 

  

 一つだけ顕著な例外は、「神の子」という言葉には常に大文字を用いるというイエスのこだわりでしたが、これは、伝統的なキリスト教における使い方とこのコースにおける使い方とを区別するためでした。伝統的なキリスト教では、この言葉はイエスだけを表すために確保されていて、常に大文字が使われています。イエスはそれと同じ大文字の言葉を、イエスだけではなく全ての人を意味するものへと拡大した上で、このコース全体を通して使うことを望みました。「贖罪」という言葉もまた、自我の贖罪と区別するため、大文字が使われる必要が〔訳注2〕ありました。

 

------------------------- 〔訳注2〕:邦訳版『奇跡講座』においては、太字の単語を使いすぎると読みにくくなり、不自然だという理由で、原文では頭文字が大文字でも、訳文では太字になっていない単語もある。「贖罪」もその一つである。

 

 

こうしたごくわずかな例外はありましたが、形態のレベルのことは全面的にヘレンに任されました。だから、私がその原稿を読んだとき、ヘレンに特有の傾向が修正される必要があると感じたのであり、ヘレンもビルも同意してくれたというわけです。

 

これらのことに関して、もう少しだけ簡単にお話ししましょう。ヘレンには、いかにわずかであっても神や天国に関連した言葉は、全て、大文字にするという時期がありました。それからヘレンは、コンマに関して、いわば二重の哲学を持っていました。それに加えて彼女は、コロンが使われるべきところでセミコロンを使うという、古風なイギリス式のやり方を採用していました。セクションと章の題名もまた、なにやら奇妙でした。ヘレンはしばしば、セクションの題名をその最初の段落に基づいたものにしていたため、多くのタイトルがあまりしっくりきませんでしたし、いくつかのセクションの区切りも気まぐれなものに見えました。段落分けも、非常に一貫性を欠いたものでしたが、私は後になってその理由を発見しました。ヘレンには、すべての段落が9行からなるものでなければならない、と考えていた時期があったのです。彼女はまた、「that」と「which」という単語の使い方についても二重の哲学を持っていて、そのどちらにするかを決めることができませんでした。時々は「which」となり、別の時は「that」になり、私はしばしば、編集作業をもとに戻して、「that」を「which」に変更したり、逆に「which」を「that」に変更したりしなければなりませんでした。句読点に関しても同じでした。ヘレンはしばしば、コンマについて心変わりしたので、私もそれに従って、原稿の前の方に戻って、必要とされる調整を行う、という具合でした。

 

このあたりで重視すべきことは、ヘレンはこのコースに関してひどくいい加減なところがあった、ということです。もちろん、その意味や語彙については決してそのようなことはなかったのですが、その形態は彼女にとって聖域にあたるものというわけではなかったのです。実際、私たちの誰も、このコースが神聖な経典だとか、そのすべての言葉が文字通り「神の言葉」であるなどとは思っていませんでした。ヘレンは、『奇跡講座』が何を言っているかわかっていましたし、それがどのように語られるべきかもわかっていました。彼女は、このコースの形態をいじくり回したとはいえ、決してその点においてぶれることはありませんでした。

 

そこには収録されるべきではないメッセージも幾つかありました。それらは、教えという点で何の違いももたらさないメッセージで、初期の頃のやりとりの名残のように思えました。たとえば、そこにはうまく納まらないフロイトについての考察がありましたが、それはどこからともなく現れたもので、口述記録の他の部分とは調和していないものでした。

   

  口述筆記の中には、

大変な数の洒落や言葉遊びがありました。

そのいくつかは今でも残っていますが、

当初の数に比べればわずかなものです。

ビルは洒落の 達人でした。  

  

また、口述筆記の中には、大変な数の洒落や言葉遊びがありました。そのいくつかは今でも残っていますが、当初の数に比べればわずかなものです。ビルは洒落の達人でした。私は、彼ほど素早く上手に洒落を言う人を見たことがありません。ですから、ビルをもっとくつろがせるために意図されたと思われるたくさんの洒落や言葉遊びがありました。それらのうちいくつかはひどくできの悪いものだったので、削除されました。

   

その一例を挙げます。イエスは、自我が作り出すどんなものも、<正しい心>の思考へと再解釈することが可能だと説明していました。それでイエスは、よく知られているフロイト派の防衛機制のいくつかを取り上げ、それらに霊的な解釈を与えました。それはこのコースの中に保持するには、少々わざとらしいものに思えました。その一つは「固着〔fixation〕」という言葉に関連したもので、「私たちは神聖なものに固着〔fixate〕するべきである」というものでした。そして「昇華〔sublimation〕」という言葉については、「私たちは崇高なもの〔the sublime〕に向かっていくべきである」というものです。ですから、これらは取り除かれました。

 

ビルは、奇跡の原理は50個であるべきだという考えにこだわっていました。彼は切りのいい数が好きだったのです。これらの原理は、初めにやって来た時には43個ありました。そしてヘレンがタイプし直しているうちに、それが53個になりました。前にも述べた通り、元の原稿では、一つの奇跡の原理が与えられたら、その後には長い議論が続き、それから次の原理がやってきました。それはすべて、とてもくだけた日常会話的なものでした。ヘレンとビルが、のちにはヘレンと私が、いくつかの変更をしました。(ヘレンと私による変更については、後でお話しします。)私たちは、奇跡の原理から、議論の部分を抜き出し、それを同じ章の別のセクションに移行させました。 

    

ビルが50個にしたがったことと、そのようにしたところで内容は全く変わらないとわかっていたことにより、ヘレンと私は単純に、前と同じやり方を踏襲しました。つまり、三つの原理を取り除き、それらを、その章の別のセクションに組み込みました。私たちがしたのはこうしたことであり、ヘレンは、イエスに異存がないかどうかを確かめないままで、最終的な決断を下すことは決してしませんでした。

 

こうした編集上の問題点について話し合った後、ヘレンもビルも、この原稿は本当にもう一度、一言一句検討されるべきだ、ということで、意見が一致しました。すでに述べたように、ビルはこの種の仕事に必要な忍耐を欠いていました。こうした編集作業は長い期間を要しますが、彼が、ヘレンと共にそこまで集中した時間を、長期に渡り維持することはできないだろうと思われました。それに、ヘレンと私は一緒にいても、とてもくつろいでいられたので、私たちにはこの特別な任務は少しも難しくないだろうということがわかっていました。ですから、ヘレンと私が原稿全体を、一語一語、丁寧に検討する、ということで全員の意見が一致しました。この作業は一年以上かかりましたが、その時間のほとんどはテキストに費やされました。ワークブックとマニュアルは、事実上ほとんど編集を必要としませんでした。

 

私たちは、最初の4つの章に途方もない時間を費やしました。この編集作業を私が事実上単独で行なったか、あるいは私がヘレンの決定に影響を与えた、といったことが噂されてきたということは、私も承知しています。けれども、ヘレンを知っている人なら誰でも、そのような考えがいかにばかげているかを、はっきりと認識するはずです。イエスを含めて誰一人、ヘレンに、本人がしたくないことをさせることなどできたためしがありません。私がヘレンに対して影響力を持つことができたなどと考えることは、この上なくおかしなことです。実際、私たちはとても親密でしたし、彼女は私に敬意を払ってくれました。私は彼女の霊的な息子のようなものでした。けれども、それゆえに私の述べたことが絶対的に正しいことだと見なされるといったことは、あり得ないことでした。私の意見が是認されるのは、唯一、彼女自身がそれが真実だと信じ、そのことについてイエスに確認した後のことでした。

 

削除された個人的なメッセージについて、もう一つの事例を挙げましょう。特にビルのために与えられた「真の機能回復〔リハビリテーション〕」と呼ばれたセクションがあります。それはビルが、プリンストン大学で行なわれたリハビリテーションに関する会議に参加する準備をしていたときに、ビル自身が抱いていた身体的な不安に関して、ビルの助けになるようにと与えられたものです。そのメッセージはビル個人に宛てられたものでしたが、ヘレンと私が編集していたヒュー・リン版には残されていました。私たちは皆、それは出版される『奇跡講座』には収録されるべきではない、ということで意見が一致していました。(ただし私はそれを『天国から離れて』の中で紹介しました。)しかしながら、そのメッセージの締めくくりの部分はとても美しい祈りを含んでいて、それはこのコースにまさにふさわしいものでした。私は、ヘレンとビルから、それが納まるべき場所を見つけるよう頼まれました。そうして、第2章の「奇跡を行う者たちの特別の原則」が、それに完璧にふさわしい場所と思えたので、それは今はそこにあります。 私たちの間では、それは「救済のための祈り」と呼ばれていました。「私は、真に助けとなるためだけにここに居る」という言葉から始まる一節です。

 

他にも、三つのセクション、あるいはセクションの一部で、もともとは、ヘレンや、ヘレンとビルのための個人的なメッセージとして始まりましたが、このコースの教えの流れに完璧に適合していたものがあります。「真の共感(第16章)」、「私は何をする必要もない(第18章)」、「道の分岐点(第22章)」です。また、第4章には「正しい教え方と正しい学び方」というセクションがありますが、これはもともと、ビルのためのものでした。彼は、コロンビア大学心理学科の学部課程で教えなければならないということについて、ひどく恐れていました。そこでも個人的な口述記録は取り除かれ(ただしこれらについても、私は拙著の中でその多くを引用しています)、より一般的な教えが残されています。

  

ついに、ある日、ヘレンは 私に、この断片は詩では なく、

口述されたものの 一部だったと打ち明け、

その断片のもとの場所を 探し出すようにと言った のです。

 

  

興味深い経過で付け加えられた箇所もあります。ヘレンと過ごす時間に、私が主に関心を向けていたのは、彼女の詩作でした。私の「任務」はヘレンが小さな紙片に書き留めた詩の断片を拾い集めておくことでした。私がこれらをとっておくことができた場合は、後からヘレンが詩の残りの部分を生み出すことができました。このやり方はいつも成功をおさめました。ただし、一つだけヘレンがどうすることもできなかった断片がありました。ついに、ある日、ヘレンは私に、この断片は詩ではなく、口述されたものの一部だったと打ち明け、その断片のもとの場所を探し出すようにと言ったのです。その無韻詩は、「死は平安であると考える危険性がある」という一行から始まっているもので、最終的にはテキスト第27章の中にぴったりと納まりました。

 

以上の事例はすべて、『天国から離れて』の中でもっと詳細に説明されています。 これらは、『奇跡講座』の筆記が一般に思われているよりももっとくだけたものだった、という点を例証しています。

 

私たちが編集した原稿のページの中に、ヘレンの書き込みを見ることができます。それらは私が今も保管しているものです。そこには、私の書き込みもあります。そこでは、彼女の指示に従って、いくらか書き直していたり、彼女に、見直しを提案したりしています。ヘレンと私は、一日を通してできる限り頻繁に、原稿を読み直しました。ヘレンは時々、「私はこの言葉を変更してしまったけれど、本当はこうなっているべきなの」と言い、私たちは彼女が最初に聞いた通りの形に戻したものです。変更された箇所はすべて、私が家に持ち帰り、タイプライターで清書し、翌日、ヘレンにそのコピーを見せて、もう一度、二人でそれを点検しました。繰り返しますと、最初の4つの章の編集には途方もない労力がかかり、私はヘレンに言ったものです。「ちょっとイエスに頼んで、これをもう一度口述してもらったらどうですか? そうすれば、私たち二人とも、かなりの時間を節約できますから。」これに対する彼女からのあまり繊細ではない返事は、ここでは繰り返さないことにします。

 

こうして、行なわれた変更は、まずは文体を整えるためのものでした。ヘレンの言葉を使えば、文面が「格好が悪かった」から、つまりぎこちなかったからということです。彼女は文面を明確なものにしたいと望んでいました。最初の頃、自分の聞き取りがそれほど明晰ではなかったことがわかっていたからです。私たちは、ビルが要請していた変更も行ないました。奇跡の諸原理に関するメッセージを取り出し、すでに述べたようなやり方で、きっちり50項目になるように区切りました。

 

ですから、私たちは、意味は保持しました。そして変更はそれをもっと読みやすくしただけです。最初に書き取られたものがそのまま、出版される本の中に収録されることが想定されていたわけではないのです。ヘレンの聞き取りは、最初は混濁していましたし、彼女の相当量の不安が、彼女が聞き取ったものに影響を与えていました。『奇跡講座』を学ぶ人々は、これらは文字通りイエスの言葉というわけではない、ということを明確に理解しておかなければなりません。「意味」はイエスのものですが、実際の言葉はそうではありません。前に述べたように、ヘレン(そしてビル)への、いくつかのより具体的なメッセージには、ヘレンの自我が介入していました。

  

編集が完了したとき、私たちはそれをタイプし直しました。ずっと後になって私が改めてヘレンのノートとウルテキストを見たとき、私が読んでいたもののうちいくつかが、出版されたテキストの中にはない、ということに気がつきましたが、それらは口述筆記の後半に口述されていたものなので、明らかにそこに含まれるべきものでした。これは明らかに、ヘレンが何度もタイプし直した結果として生じたことでした。たとえば、ヘレンがテキストをタイプし直していたとき、一枚のページがもう一枚のページに貼りついていました。その結果、彼女がタイプ打ちしていたとき、全く目にはいらなかった三つの段落があったのです。そのため、その部分は、そのバージョンにも、その後のバージョンにも含まれないままとなってしまいました。これらの段落には、すでにこのコースの中にあったものと意味の上で異なっているものは何もありませんでしたが、明らかにこのコースの中に含まれているべきものでした。私はまた、不注意で脱落していた文章にも気がつきました。書かれた原稿が何度もタイプされ直す時には、ミスが起こるものです。とりわけ、清書されたものが十分に校正されていない場合はそうしたことが起こりますが、このコースの場合もそれに該当しました。

 

その後、私たちは、ニューヨーク州の私たちの財団において、ちゃんとした校正作業を行ないました。最終的にすべてが必ず正しいものとなるように、何人かの人たちがウルテキストと照合しながらその作業を行ないました。私たちは、いくつかの言葉や文章や段落が脱落しているのを発見しました。大部分はテキストの中でしたが、教師のマニュアルから抜け落ちていたものも一つ見つかりました。 ちなみに、第二刷が発行される時には、正誤表と、追加されたそのリストをまとめた小冊子を作り、財団から無料で入手できるようにしました。

 

ほかにもいくつかの小規模な訂正や変更がありました。『奇跡講座』は元々はヘレンとビルのために書かれたものでしたから、イエスはしばしば、「あなたとあなた方の双方」と言いながら、ヘレンとビルに語りかけていました。しかしながら、このコースは、ただ一人の人に読まれることを意図しています。それは、無数の関係性の中にいる一人の人であり、私たち一人一人のことです。それゆえ「あなたとあなた方の双方」という言葉は、「あなたとあなたの兄弟」となりました。この変更は簡単でした。というのも、その変更は、常にヘレンの関心事であった韻律を乱さなかったからです。それでも、私たちは編集中にそのいくつかを見落としました。

 

「内なる平安のための財団」(FIP)と「『奇跡講座』のための財団」(FACIM)は、1990 年代の初めに、『奇跡講座』の第二版を出版することを決定しましたが、それにより、私たちは、抜け落ちていた箇所の全てを復帰させる機会を与えられました。これはまた、文番号システムを導入する機会にもなりました。それは、当時私たちが製作に取り組んでいた用語索引にとって、必要なシステムでしたし、また、出来上がりつつあった様々な言語への翻訳において、聖書に見られるような共通の引用表記法を提供するためにも、必要とされていました。たとえば聖書においては、本の仕様やページ数や言語の違いにかかわらず、世界中の誰もが、John 5:16 を見つけることができます。人々は、(その表記に従って)簡単に、ヨハネによる福音書の第5章に行き、16番目の節を見つけます。この新しい文番号システムがあれば、世界中の『奇跡講座』を学ぶ人々が、それと同じことができるというわけです。

 

   

 

Ⅳ . 非公開の口述記録が公開されてしまった経緯 へ続く

 

原稿の歴史PDF版をダウンロードする