『奇跡講座』の原稿の歴史
Ⅴ. ヘレンと『奇跡講座』: 形態と内容
これらの初期の原稿が人目にさらされたことについて考察するにあたり、最も重要なことは、どのバージョンをあなたが読んでいるかに関わりなく、あなたはこのコースの本質的な教えは受け取ることができるということです。この意味では、何ら真の損害は起きていません。
しかしながら、別の意味では、この状況は残念なことです。人々は間違ったほうに導かれかねませんし、現時点ではそのことについて何もすることができません。言うなれば、馬は馬小屋から逃げ出してしまったのであり、パンドラの箱が開かれ、二度と閉じることはできません。ただし、好奇心の旺盛な人々が読むことになりそうなものについて、説明しておくことだけはできそうです。いくつかの事例についてお話ししましょう。
ウルテキストの中には、性や性的な事柄についての記述があり、これは、(わいせつな興味とまではいかないにせよ)人々の好奇心を間違いなくそそる領域です。ですから読者は、例えば次のような文言を読むことになります。「同性愛は本質的に病理である」(=伝統的な精神分析の観点)とか、「性の唯一の目的は生殖である」といったものです。これらは、このコースにおけるイエス自身の教えとは正反対の二つの立場です。イエスは、このコースの中で、幻想には順位があるという自我の混沌の法則(T-23.II.2) 第1 条を訂正するものとして、「自我の世界のすべての形態を同じものと見る」ということを教えています。ですから、そのような文言が、イエスの言葉や考えであると信じることは、何が『奇跡講座』に収録されるべきもので、何がそうではないか、ということに関して、私がヘレンの心を動かすことができたと信じるのと同じぐらい、本末転倒で思いもよらないことです。これらの信念はイエスではなくヘレンのものだ、ということが明白なはずです。ヘレンは性について彼女自身の偏見を持っていましたし、残念なことに、それがこれらの初期の文言に混入しました。
しかし、ウルテキストの中のあらゆる言葉が神聖でありイエスの言葉である、と信じている人々は、このような記述を、自分たちが予め信じたい考えを裏付けるために用いるかもしれません。これらに比べれば、情動性は小さいかもしれませんが、エドガー・ケイシーや、フロイトや、他の心理学者(すでに言及したように、ヘレンはユングが好きではありませんでした)などに関する記述についても、同様のことが言えます。
話は脇に逸れますが、少しだけ、イエス、筆記、そして筆記とヘレンの関係についてもお話しすることが役立つかもしれません。これは私の著作やCD の中で、もっと詳しく論じられています。そもそも、イエスは言葉を話したのではありません。このことを理解するのは本当に重要です。
そもそも、イエスは
言葉を話したのではありません。
私が思い出すのは、私たちがある空港にいたときのことです。私たちの講演を聞いた一人のとても誠実な女性がヘレンのところにやって来て、「イエスはどうやって『奇跡講座』を口述することができたのですか? 彼は英語を知らなかったのでしょう?」と尋ねてきたのです。私は、この素朴な疑問に対するヘレンの返事自体は覚えていませんが、ヘレンが親切な態度で短い答えを与えていたことだけは覚えています。 (私たちは飛行機に乗らなければならなくて、あまり時間がありませんでした)。けれども、その質問は一つの重要な点を反映しています。繰り返しますが、イエスは言葉で話していないのです。ここでそれを別の言い方で、簡潔に言うなら、彼に属するものは内容であり、私たちの心(および頭脳)はその形態を提供します。ですから、ヘレンの決断の主体である心は、誰の中にもある非自我的な存在と同一化しました。そして、私たちの多くにとってもそうであるように、ヘレンにとって、この裁くことのない愛の思考体系を象徴していたのが、イエスだったのです。彼女の心は、あの非具体的な愛を受け取り、それを言葉に翻訳しました。それは、私たちの頭脳が、網膜上に投じられた倒立像を、正しい方を上にした知覚へと翻訳するのと、ほぼ同じようなやり方です。ですから、何度も述べた通り、このコースの形態はヘレンから来ています。以下に、『奇跡講座』の形式上の特質でその筆記者に直接起因すると思えるものを示す、幾つかの事例を挙げておきます。
1) それは英語で書かれています。
2) その言い回しはアメリカ風です。独立宣言や、アメリカの紙幣である「緑色の紙切れ)」〔訳注5〕への言及さえもあります。
----------------- 〔訳注5〕邦訳『奇跡講座』では、日本の紙幣が緑色でないことから、単に札束を連想させる「紙切れの束」(W-pI.76.3:2) という表現にとどめた。
3) ヘレンは哲学的にはプラトン主義者でした。『奇跡講座』の哲学はプラトン主義的で、プラトンの『国家』の中にある有名な「洞窟の比喩」への言及さえもあります。その上、「言葉は象徴の象徴に過ぎない……したがって、言葉は実相からは二重に隔てられている」(M-21.1:9-10) という記述は、『国家』から直接取られたものです。
4) ヘレンはシェイクスピアが大好きでした。『奇跡講座』は、その言葉遣いがシェイクスピア風です。その大部分が弱強五歩格の無韻詩(韻を踏まない詩形)で書かれていますが、それは、シェイクスピアの作品の形式です。ヘレンのお気に入りの戯曲だったハムレットへのさりげない言及も見られます。
5) ヘレンは、ジェイムス王 欽定訳の聖書を熱愛していました。彼女は、聖書の内容は全く好きではなかったのですが、その文章表現は大好きでした。ですから、『奇跡講座』の中にも、聖書的な「古風な表現」、すなわち、エリザベス朝時代の話し方が見られます。
6) ヘレンは猛烈に論理的でした。彼女は、私が出会った中でも最も論理的な心の持ち主の一人でした。そして、『奇跡講座』は、厳密に論理的なやり方で、その思考体系(自我の思考体系と聖霊の思考体系) を展開させています。それに加えて、議論の三段論法的形式が、暗示的にも明示的にも使われています。
7) ヘレンは教育者でした。このコースの教育課程的な構成は明白です。テキスト、受講生のためのワークブック、教師のためのマニュアルからなり、聖霊が私たちの教師です。その言葉遣いは始めから終わりまで、教育課程の学習的側面を反映しています。
8) ヘレンは心理学者でした。心理学の学派的には彼女はフロイト派で、フロイトの業績をとても尊敬していました。私が30年間言い続けてきたように、フロイトがいなければ、『奇跡講座』はあり得ませんでした。自我の思考体系の説明は、フロイトの並外れた洞察の上に、大きく基づいているからです。そして、そうした洞察は、ヘレンにとって第二の本性のように自然なものになっていました。
9) ヘレンには、イエスとの愛憎関係がありました。もちろん『奇跡講座』の中には、イエスに関する憎しみなどなく、それどころか、このコースのあらゆるところに、愛情深く、裁くことのないイエスの存在が、誰にでもはっきりと認識されます。
「内なる平安のための財団」(FIP)により
出版されたコースは、
その筆記者が 想定していた
通りのものなのです。
ですから私たちは、このコースの形態が、いかにすべてヘレンのものであるかを見てとることができます。しかしながら、興味深いことに、文体は、ヘレンのものではありません。ヘレンは、科学的な文章にふさわしく、ほぼスパルタ式の簡素な文体で書いていましたし、それは、このコースに見られるような、より詩的で、文法的に厳密でない文章構造とは対照的なものでした。ちなみに、そうした文章構造はヘレンを激怒させたものでした。
けれども、『奇跡講座』の内容は、明らかにヘレンのものではなく、少なくとも、世間が知っていたヘレンや、彼女が意識的に自分を重ね合わせていた人物のものではありませんでした。このことが、なぜヘレンが「形態は自由に変更してもかまわないが、内容は決して変更してはいけない」と感じていたか、その理由を説明しています。ヘレンには、出版されたコースがどうあるべきかが、わかっていました。周囲の人たちが意見を述べることはできましたから、ビルと私も時々そうしましたが、ヘレンの頭の中には、すでにこのコースの完成された姿があったのです。ですから、「内なる平安のための財団」(FIP)により出版されたコースは、その筆記者が想定していた通りのものなのです。
ヘレンがFIP から出版されたものだけを認可したのですから、ウルテキスト(および他のバージョン)を読むということはヘレンとビルのプライバシーの侵害であると、私は信じています。ヘレンとビルは私にはそれを読むことを望みましたが、それは他人の個人的な日記を読むようなものです。そのようなことをしたい理由などあるでしょうか? とりわけ、それを読まないようにと勧められているのですから、それでも読むとしたら、あなたは論争や罪悪感を招いていることにしかなりません。「用語の解説」序文の、次の言葉を思い出してください。
「すべての用語には論争の余地があり、論争を求める者たちは論争を見出すだろう。だが、同様に、解説を求める者たちは、解説を見出す。ただしそのためには、彼らは、論争とは真理に対する防衛が遅延戦略の形をとったものだと認識して、論争を看過しようとする意欲をもたねばならない」(C-in.2:1-3)。
もう一度言いますと、ウルテキストの中の個人的でプライベートな部分は、出版されたどのバージョンにも収録されるべきものではありません。多くの著作家は、原稿が仕上がれば、以前のバージョンはすべて破棄します。私も、本を書き上げ、それが出版されたあとは、そのようにしています。ウルテキストを読むとき、人々が見出すのは、「イエスの正真正銘の言葉」ではありません。それは、筆記のプロセスにおいて(最初は)格闘していた一人の女性が書いた文章です。ですから、人に読まれることが全く意図されていなかったものを読むことになります。
さて、もしあなたがそれでもそれを読むとしたら、私は、ヘレンがあなたを稲妻で撃ちのめすだろうとか、それは罪深いことだ、などと言うつもりはありませんが、せめてあなたは、なぜ自分はそうしているのだろうと、自分に尋ねるべきです。イエスがこのコースを通して強調している通り、目的がすべてであり、私たちはすべてのことについて、「それは何のためか?」という一つの質問だけを尋ねる必要があるからです。しかしながら、私は、一つだけ保証することができます。それは、ウルテキストは『奇跡講座』についてのあなたの理解を深めることはない、ということです。どちらかといえば、それはあなたを混乱させることでしょう。なぜならば、すでに指摘したように、あなたがそこに見出すことになるのは、一般の人々に読まれることが意図されていなかった上に、このコース自体の教えと矛盾するように見える事柄であり、さらには、このコースの教えと正反対のことを示唆するような単語の使用や言葉遣いだからです。
もしあなたが それでもそれを読むとしたら、
・・・・・ せめて あなたは、
なぜ自分は そうしているのだろうと、
自分に尋ねる べきです。
ですから、私が思うに、この口述記録に興味を持った『奇跡講座』の受講生が尋ねるべき質問は、「イエスもヘレンもビルも事実上それを読まないようにと私に頼んでいるだけでなく、このコースが実際に言っていることとは違うものを教えていると解釈されそうなものを、なぜ私は読みたいと思うのだろうか?」というものです。さらに覚えておくと助けになることは、ある人々の注目の的となっている部分は、口述筆記のごく最初の数週間に筆記されたもののみであり、その後に続くものはほとんど変更されていない、ということです。ですから、私たちは、ヘレンの聞き取りがあまり正確ではなかったときに起こったことについて話している、ということなのです。
すでに言及したように、ヘレンがまだエドガー・ケイシーの影響を受けていて、それが彼女が書き取ったものに反映されているのは、この期間のことです。けれども、このような混信は一時的なものでした。しかし、もしウルテキストの読者が、ヘレンの筆記のこの局面を承知していなければ、彼らはたやすく混乱し、誤って導かれ、たとえば、このコースが「世界は実在する」と教えていると考えるようになってしまうこともあり得ます。確かに、最初のあたりには、このコースのその他の部分とは著しく異なり、そのようなことを暗示するように思えるものがありますが、それはケイシーの影響を反映しているものです。この偉大な霊能者は、分離の後で神は教室としてこの世界を創造した、と述べていたのです。これはおよそ『奇跡講座』のとる立場ではありません。
昔、ヘレンと私がある人と共にいた時のことを思い出します。その人は『奇跡講座』関連で著名な人でしたが、このコースが言っていることを真に理解してはいませんでした。ヘレンは彼に、世界は幻想だと認識するまでは、決してこのコースを理解できないだろう、と言いました。彼女はきっぱりと次のように断言していました。「この世界は幻想です。神はこの世界とは何の関係もありません。あなたのように考えるならこのコースは理解できません」と。ヘレンほどこのコースをよく理解していた人はいませんでした。
私たちが編集作業を進めていたときのヘレンについて、興味深い話があります。実際のところ、とてもおかしな話です。ヘレンは編集している間、たびたび不安になりましたが、彼女が不安を表現する方法の一つは、私たちが何らかの段落を読んでいる最中に笑いはじめ、それから「これは私には全然理解できないわ」とつぶやく、というものでした。ですから、私が実際に、初めて『奇跡講座』を「教えた」相手はヘレンであり、しかも、彼女にはその文章の意味していることが十分にわかっていると、私も十分にわかった上で「教えた」のです。そしてまた、もし私が何かについて間違ったことを言ったりしたら、彼女は即刻私を訂正していただろう、ということも私にはわかっていました。
ヘレンはこのコースを隅から隅までよく理解していたのです。彼女はそれをほとんど読みませんでしたが、意のままにそこから引用することができました。一緒に過ごした何年もの間、私たちは、ハムレットを引用していない時には、いつもこのコースの様々な箇所から引用していたものです。ヘレンは、『奇跡講座』がわかっていないのに、わかっているふりをする人たちについては、手厳しく批判していましたし、憤慨していました。自分では決して公式にこのコースを教えるつもりはないという点で、彼女はとてもはっきりしていましたが、誰か他の人が、明らかにイエスではなく、その人自身の自我を表現しながら、このコースを教えることは、望んでいなかったのです。
この重要な点に戻りますと、「ヘレンが書き取ったものはイエスの文字通りの言葉であり、それゆえに神聖で、変更されるべきではない」という、極端な考えがありますが、これは明らかにばかげています。第二版(文番号システムが導入されたもの)が出版された後で、ある女性が、イエスのコースに番号を加えたことでそれを変えてしまったと、私を非難する手紙を書いてきましたが、それと同じぐらい、おかしなことです。ヘレンはそんなふうには考えていませんでした。彼女が初期の頃に聞きとった事柄のうち、多くのことが全く間違っており、もちろん彼女はそのことを知っていました。私は、ヘレン自身がイエスからのものだと言っていたメッセージを書き取っている時のヘレンを、何度もじかに見た経験があります。ちなみに、これは、彼女が二つの小冊子を書き取っていたのと同じ時期のことであり、これらの小冊子はその教えという点で間違いなく純粋なものです。不正確な記述は、しばしば、彼女が具体的なことに関わっていたときに生じていました。以下に、さらにいくつかの事例を挙げておきます。
あれは1976 年、私たちがジュディス・スカッチと出会った1年後だったと思います。ジュディス・スカッチは、後にFIP を通して『奇跡講座』の出版者となった人です。ヘレン、ビル、ジュディ、そして私は、このコースやそれに関する私たちの仕事に関して、これからどんなことが起こると思うか、といったことを話しあっていました。この頃に典型的なことだったのですが、ヘレンは私たちのためにメッセージを書き取りました。多分、あれは夏の一時期だったと思いますが、そのメッセージは「今年は燃え上がるような栄光のうちに終わるだろう」と言っていました。それが意味していたのは、なんらかの壮大な躍進があるはずだ、といったことでした。私たちが思い描いたのは、たぶんヘレンとビルの関係が癒され、霊的に進歩した私たちがみんなで一緒に、夕陽に向かって車で走り去っていくようなイメージでした。つまり、素晴らしい出来事が起こりつつある、と思ったわけです。さて、それから何週間も何ヶ月も過ぎて行きましたが、燃え上がるような栄光など何もありませんでした。ついに、12 月31 日となり、私たちはまだ待っていました。ジュディは彼女のアパートで、大晦日のパーティーを開いていましたが、そこはセントラルパークを見渡せる場所で、美しい空の眺めが得られました。日が暮れてからしばらくして、ニューヨーク市は大晦日に恒例の花火を打ち上げ、私たちはお互いに顔を見合わせ、そして言いました。「燃え上がるような栄光だ!」 明らかに、ヘレンは間違っていたのでした。
具体的なことに関するヘレンの不正確な記述のもう一つの事例は、彼女が自分自身の墓碑を見たときのことです。その墓碑は、彼女が72歳で亡くなることを示唆していました。実際には、彼女は71歳で亡くなりました。数字は近かったのですが、イエスのコースを筆記しているときであれば、ほんの少しでも外れてはなりません。彼女はまた、ビルは彼女の死後、一年以内に亡くなるだろうとも言っていて、そのことはビルにとって、大きな関心事となりました。しかし彼はさらに7年生き、1988 年に亡くなりました。最後に、ヘレンは彼女の夫ルイは、彼女の死後5、6年以内に亡くなるだろうと言っていましたが、彼はさらにほぼ19年生きました!
このように、ヘレンは具体的なことになるとたびたび間違えていました。自我は具体的なことが大好きなのです。また、彼女のメッセージが、性や死といったような、彼女が葛藤を感じている事柄に関連していたときにも、よく間違えていました。けれども、彼女の自我が関与していないときには、彼女は間違えませんでした。以上が、出版された『奇跡講座』が述べていることを、あなたが信頼できる理由です。
ですから、私がヘレンを知っていた何年かの間に、私にとって非常に明白になったことがあります。それは、彼女がイエスから来ていると言ったり書いたりしたことの中には、割り引いて受け取るべきものがあるということでした。そして、そこには、明らかに初期のウルテキストの口述記録も含まれています。あいにく、ウルテキストの中にはさらに、もしあなたが背景を知らなければ、何のことを言っているのか、何を意味しているのか理解できないような事柄が含まれています。 このことが必然的に意味することは、その場に居合わせなかった人たちや、ヘレンやビルを知らない人たちは、そこに見いだされる事柄の多くを誤解するだろうということです。
最後に、『奇跡講座』を学ぶ全ての人々に私は保証することができます。皆さんは騙されてなどいません。ヘレンもビルも私も、 FIP により出版される本が、必ず、イエスが意図していた通りのものとなるように、そして、確実に、イエスが望んでいるとヘレンにわかっていた通りのものとなるように、全力を尽くしました。
VI. 結論 へ続く