ケネス・ワプニック インタビュー第3回
神の臨在
KW: このように暮らしていた時期に、私はトマス・マートン〔著名なトラピスト修道士〕の著作を読み始めました。そのとき初めて、修道院とは何なのかを知りました。読むにつれて、要するに自分は既に修道院的な生活をしていたのだと理解しました。そういうわけで、1972年の夏に、私はマートンがいた修道院を訪ねる手配をしました。ケンタッキー州にある「ゲッセマネ大修道院」です。
私はそこに一週間滞在しただけでしたが、本当に、自分の家でくつろいでいるかのように感じました。それは不思議な感覚でした。私は聖堂の中で、涙にくれながら、自分の時間を過ごしたのです。ミサの時には、神の力強い存在をありありと感じました。どうしてそう感じたのかは説明できませんが、それが事実でした。ですから、私はこれらのことを考え合わせて、突飛な結論を出しました。
「神は明らかに私が修道士になることを望んでいる」と思ったのです。当然のことながら、トラピスト修道士になるには、私はカトリック教徒にならなければなりませんでした。
病院に戻ってから、私は、カトリック教徒になることについて、病院専属の司祭に相談しました。彼は私をどう扱えばいいのか、戸惑いました。病院では要職に就いている私がこんなことを言い出したのですから、戸惑って当然です。さらに私はユダヤ人であり、博士号を持っていて、ゲッセマネ修道会で一週間だけ過ごして戻ってきたばかりだったのですから・・。それで彼は、こう言いました。「この本を読んでください。もし何か質問があれば、私がお答えします。その後であなたに洗礼を施しましょう」と。私はその本を読みましたが、それが何を述べているかについては、気にしませんでした。これは神の意志なのだから、自分はそれを実行するのみだ、と思っていました。そうして、2週間後に彼は私に洗礼を施し、私はカトリック教徒になりました。
その後、修道院に戻りましたが、この時はカトリック教徒になっていたので、修道士たちはとても喜んでくれました。修道院に入るには、洗礼を受けてから1年待たなければならなかったので、私にはよく考える時間が1年ありました。しかし迷いはありませんでした。 必ず修道院に入ると決めていました。それにしても私はかなり奇妙なカトリック教徒でした。というのも、イエスは依然として私の関心の対象ではありませんでしたし、私は教会が教えていることを何も信じていなかったからです。私が望んでいたのはただ、修道士になって、一人で神と共にいることだけでした。
私は真の意味でのキリスト教徒ですらありませんでしたが、修道院で暮らすという考えは、私にとって何の違和感もありませんでした。私は明らかに、真摯で宗教的な人間だったので、誰もわざわざ私に質問などしませんでした。唯一私に尋ねられたことは、「処女懐胎説を受け入れることに異議はないか」ということでした。それは私には関心のないことでしたから、異議などありませんでした!
私に洗礼を施してくれた神父は、マイケル神父と同じ修道会の一員でした。ちなみに、マイケル神父というのは彼の本名ではなく、私たちが用いている通称です。マイケル神父は心理学者であり、コロンビア長老派医療センターにおいて、ヘレン・シャックマンとビル・セットフォードのもとで、インターン研修を行なったことのある人でした。彼は、『奇跡講座』が書き取られていた当時、ヘレンやビルと親しくしていました。彼は、ヘレンとビルが『奇跡講座』のことを伝えていた数少ない人々のうちの一人で、『奇跡講座』にとても感銘を受けていました。彼は本当に、ヘレンに畏敬の念を抱いていましたし、ビルは彼のセラピストでした。マイケルにとっては、『奇跡講座』は美しく神秘的な書物の典型のようなものでした。後になってわかったことですが、彼は『奇跡講座』を所持してはいましたが、真にそれを熟読したことは一度もなかったようです。
いつかの時点で、ビルは私が統合失調症について書いた小論文を目にしていました。その論文は或る本の中に再録されていたのです。ビルはその論文が気に入り、神秘体験を真剣に受け止めた心理学者の実例として、それをマイケル神父に見せて、彼はそれに感銘を受けていました。そして、あの病院の司祭がマイケルに、「ちょうど一人の心理学者に洗礼を施したところだ」と自慢げに話して私の名前を告げたとき、マイケルは興奮して言いました。「ぜひその若者に会いたいものだ」と。そして私たちは、1972年10月に出会い、非常に良い友達になりました。
ヘレンの本
KW: それから間もなくして、私は、病院を退職しようと決心し、修道院に入る前に、1人で2、3ヶ月をイスラエルで過ごすことにしました。なぜそうしたいと思ったのかは、自分でもわかっていませんでした。11月の終わり頃、出発する前に、マイケルが、彼の友人2人と会うようにと私を誘ってくれました。もちろん、それがヘレンとビルです。私たち4人は、ビルのアパートで夕べを過ごしました。その時間の大半は、私が自分のこと(どのような経緯で当時の状況に至ったのか、といったこと)を話すことで過ぎていきました。その夕べのある時点で、誰かが(たぶんマイケルだったと思いますが)、ヘレンが「霊的成長についての本」を書いたと言いました。(私には、そのような言い方をしていました。)ビルが居間の一角を指し示し、そこには、原稿を綴じたとても大きな論文用のバインダーが7冊積んでありました。ビルは私に、その原稿を見る機会を与えてくれたわけですが、私はそれを見るべきだ
とは思いませんでした。なぜならば、私は何も持たずにイスラエルに出発するところでしたし、そのように大きなものを持って行くことなど考えられなかったからです。私はもう一晩、マイケルと過ごしましたが、彼もまた私に、それを見てはどうかと言ってくれました。そのときも私は、そうするべきだとは思いませんでした。
その後、私はイスラエルの2つの修道院で5ヶ月間過ごしましたが、その間中ずっと、ヘレンのこの本のことを考え続けていました。その本についての夢まで見たほどです。
IP: 彼らは、その本について何か言いましたか? それがどのように書かれたかというようなことを・・?
KW: いいえ。ただ、ヘレンがそれを書いたということと、それは霊性に関するものだということだけでした。イエスや筆記に関しては何も言いませんでした。しかし私は、ヘレンとは一種の絆を感じました。真のつながりです。ビルにもつながりを感じましたが、ヘレンには、もっと深い絆を感じました。私はイスラエルにいた間に、彼らに手紙を書きました。あるとき、夢の中で、私は地下鉄のホームで、くずかごの中にその本を見つけました。それは輝いていました。また別の夢では、それを海岸で見つけました。どちらのときにも、私は、自分が見つけたのはとても神聖な本だということがわかっていました。
IP: ヘレンの見た夢と似ていますね。たとえば、彼女が川床から本を引っ張り上げたというところなどが?
KW: はい、ある意味ではそうです。しかし、その時点で、私はすでにイスラエルに留まろうと決めていたのです。山の頂上にある修道院に入ることにしていて、それはとても素晴らしいところでした。そこには水道も電気もなく、全く完璧でした。私は、静かに神だけと共に過ごすことができると思っていたのです。とはいえ、残りの人生を過ごす場所としてそこに住み着いてしまう前に、あの本が読みたいとは思いました。また、私の両親が非常に動揺していたので、何とかしなくてはならないとも感じていました。
父も母も、私がかどわかされてしまったと思っていたのです。自分たちの息子に何が起きていたのかわかっていませんでした。私は手紙で説明したのですが、両親には何も理解できませんでした。それで私は、3、4週間だけのつもりでアメリカに戻ったのです。私が初めて『奇跡講座』を見たのは、その時のことでした。ヘレンとビルのオフィスは隣接していたのですが、ビルは彼女のオフィスの方に行き、ヘレンは私をビルのオフィスに座らせ、テキストの2つのセクションを手渡しました。
ビル・セットフォード と ヘレン・シャックマン
第4回へ続く