ケネス・ワプニック インタビュー第9回

 

 

『奇跡講座』から得られたもの

 

IP: ご自分の前半生を振り返ってみるとき、あなたは、『奇跡講座』に関わったり、『奇跡講座』を学んだりすることから、何を得てきたと思われますか?

ケネス・ワプニック(以下、KW) : 子供の頃から私は、現象として起こっていることにはそれ以上の何かがあるということを、いつも意識していました。私は幸せな子供時代を過ごしましたが、それにもかかわらず、自分が周囲のも

のごとに属しておらず、自分はそのすべてに対して部外者だと、いつも感じていました。『奇跡講座』が何をしてくれたかと考えてみると、私の人生の意味という点で、あらゆることを明確にしてくれたと思います。それまでの私は、ほとんど目的と言えるようなものを持っていませんでした。人生の大半において、私の課題は、私自身の内側にある「あの何か」と接点を持つことでした。そして、それは神だったということが後になってわかったわけですが、それを統合するのにずっと苦労していました。それを可能にしてくれたのが、『奇跡講座』だったのです。内界と外界は一つだということ。人々と関わることで神を犠牲にする必要はなく、逆もまた

 しかりだということが、わかりました。青年時代には、私は、どのようにしてそれをすればいいのかがわかっていませんでした。その意味では、『奇跡講座』は私を全一な人間にしてくれました。

 

IP: ある意味では、私の質問は的外れでしたね。『奇跡講座』は、個人としての自分を変えるといったものではないわけですから。

KW: そうですね。『奇跡講座』が私を変えたというのは、私が今では、より統合され、より全一になったと感じているという意味においてのみです。それと、もし『奇跡講座』に出会っていなかったら、私はグロリアと出会うこともなかったでしょう!

グロリア・ワプニック(以下、GW) : 『奇跡講座』は私にとっては、天と地ほどの違いをもたらしました。 

KW: ここであなたが言うべきことは、『奇跡講座』を通して素晴らしい夫と出会ったということですよ(笑)!  

GW: ケネスと出会う以前から、『奇跡講座』は、私が神について抱いていた概念を癒し始めていました。私があらゆるものごとを神に投影していたことや、神に対して本当に怒っていた状態について、癒しが始まっていました。その癒しは、あの最初の夜に始まって、それ以来、『奇跡講座』が私の人生に存在し続けていることによって、今も続いています。私には、『奇跡講座』のない人生など、想像することすらできません。それは、パズルのピースを一つに集め、それらを統合してくれました。もちろん、ケネスと出会ったのは重要なことでした。私には、これはとても重要な仕事だということが、わかっていました。

 

私たちの目的 

 

IP: どこかで読んだのですが、お二人はここ(訳注:ニューヨーク州ロスコ―のFACIM教育センター)でも、いくつもの問題に遭遇してこられたそうですね。誰にでもそういうことがあると思いますが、その記事の中でのあなたの返答は、「まあ、当然ではないでしょうか? この世界は決して完璧なものにはならないのですから」というものでした。大切なことは、いわゆる「聖なる」場所では絶対に問題が生じないということではなく、いろいろな問題が生じたときに、それらにどのように対処するか、ということですよね?

KW: それが重要な点です。

GW: そうです。ここでの最初の10年間は、私たちにとって、最も多くを学んだ時期でした。2つの請負業者が契約不履行で、建物が完成しないままになっていたことがあったり、その他にもいろいろありました。たくさんの赦しがありました。私にとっては、次から次へとレッスンがやってくるという状態でした。レッスンは常に、対人関係の中にありました。もし当時の私が、今の私が知っていることを知っていたなら、たぶん、「そこはとても素敵な場所ですが、私はそこで仕事をするつもりはありません」と言ったと思います。

KW: そうでしたね。場所ということで言えば、最初の何年かは、次から次へと大きな問題が連発していました。今では、物事はとてもスムーズに運んでいます。

 

IP: あなたには、「誤って解釈している人々」に『奇跡講座』を解説するという「使命」があるのだろうと、私はしばしば感じているのですが。

KW: 私は自分ではそんな言い方はしないと思います! 「使命」という言葉を使うことすらためらわれます。けれども、確かに、私たちの目的は、自分たちがこの世を去るときまでに、『奇跡講座』が堅固な土台の上に立っていられるようにすることだと感じています。『奇跡講座』はそれ自体で独自の価値があります。しかし、成長し始めた若木と同じく、始まりにおいては栄養を与え、保護してやらなければならないのです。どのような形であれ、意図されている通りの形で『奇跡講座』が育っていくのを確実に見届けることが、私たちの仕事だ、と捉えているつもりです。

IP: あなたは、『奇跡講座』がすでにしっかりした土台の上に立っていると思ってはいないのですか?

KW: 思っていません。『奇跡講座』はいともたやすく誤解されます。長年の間に、非常によく知られるようになってきたので、今は以前にも増して誤解されやすくなっています。誤解することが罪だと言っているのではありません。人々はただ、誤解するのです。

私は、これが「自分がやることになっていること」だと、意識的なレベルで感じていたとは思いません。私はただそれをするだけなのです。あとになってから、自分がしてきたことを見て、「ああ、このことのために、私はこれをしていたのだ」とわかります。それはちょうど、私が本を書くとき、その本がどのようなものになるか、皆目わかっていないのと同じです。私はただ本を書きます。そして、それを書き終えたときに言います。「この本はこういう本だったのか」と。

1982年にワシントン州で私が行なった最初の講演は、意識的に選択して行なったものではありませんでした。けれども、それが、ある事へとつながり、そのあと、また別の事へとつながっていきました。私が講演をするようになってから、『奇跡講座』についてどれほど多くの誤解があるのかが、きわめて明らかになっていきました。私は自分の言うことに人々が耳を傾けるかどうか、賛同するかどうかなどは、気にかけません。私はただ、これが自分のすることだと感じているので、それをするのみなのです。  

 

第10回へ続く