ケネス・ワプニック インタビュー第7回
深い絆
グロリア・ワプニック(以下、GW): 他の人たちについて言えば、ビルは教えるという役割につこうとしたことは一度もありませんでしたね。
ケネス・ワプニック(以下、KW) : そうでしたね。ビルとヘレンは、表面的には、自分たちの関係が癒されるところまで行きませんでした。他人から見てわかる範囲や、彼らがお互いをどのように感じていたかという観点から言って、癒されたとは言えなかった、という意味ですが・・・。 明らかに、二人の間には非常に深い絆がありました。
ビルは亡くなる前までに、この問題は解決してヘレンを赦したと思っていました。たぶん、そうだったのだろうと思います。ヘレンが亡くなってからその時までに、すでに7年経っていました。それでも、もちろん、彼らが何かを一緒に行うなどということは、ありえない話でした。
GW: ビルは内気な人でしたしね。無口で、「人前」に出たがりませんでした。
KW: 私も教師になることに興味はなく、まず最初に、『奇跡講座におけるキリスト教的心理学』という本を書きました。それから『用語解説集』および、最終的には『赦しとイエス』という本になった原稿に取り組み始めました。私はこれまでいろいろな機会に様々なグループに話をしてきましたが、ヘレンが生きていた間は、ヘレンと過ごすことにほとんどすべての時間を費やしました。彼女が亡くなった時点でも、私は依然として教えることに興味はありませんでした。グロリアと私は、1981年の秋に結婚しました。その頃には、私は個人開業でセラピーを行なっていました。
IP: 今度はグロリアさんに伺います。あなたの話を聞かせていただけますか?
GW: 私は、ローマ・カトリック教徒として育てられました。母はとても信心深い人でした。私はカトリックの学校には行きませんでしたが、修道女になりたいと思っていました。母の親戚は皆、イタリアに住んでいましたので、私が13歳のとき、私たちはイタリアを訪問しました。母が何度か心臓発作を起こしたため、私たちは1年間イタリアに滞在することになりました。その間に私は、第二次世界大戦があの国のすべての人々に何をもたらしていたのかを知りました。彼らが身をもって体験したあらゆる恐ろしい出来事について知ったのです。私はそのことで、トラウマになるくらいひどくショックを受けました。「いったいどうして神はこんなことが起こるのを容認できたのだろう?」と思いました。この世界を創造した神がこのようなことが起こるのを黙認するのならば、私はそんな神なんかいらないと、心に決めたのです。ですから、ある意味で、私は神について自分で勝手にケリをつけてしまったようなものでした。
アメリカに戻ってから、私はある神父に会いに行き、もう神を信じないと言いました。彼は私に、信じて待つようにと勧めましたが、私はそうしませんでした。私は教会に行くのをやめ、母はとても動揺しましたが、私は二度と戻りませんでした。でも私は探し求めました。
高校時代を通してずっと、私は、霊性や他の宗教について、様々な本を読みました。この世界全体が、私にとってはわけがわからないものでした。
大学に進学してもまだ探していましたが、何も答えは見つかりませんでした。私はイラン人と結婚し、イランに移り住みました。子供を2人授かりましたが、国の状況がひどく重苦しいものになったので、とうとう息子たちをつれてアメリカに逃げ戻らなければなりませんでした。後に、夫とは離婚しました。職業としては、私は教師をしていました。けれども、内面では依然として亀裂が存在していました。私は、聖母マリアに深いつながりを感じていてマリア様は、私にとって、常に重要な人物だったのですが、神との間では特別な憎悪の関係がありました。世界の滅茶苦茶な状態や、起こっているあらゆる出来事について神を非難していました。
稲 妻
1977年のある日、私の働いていた学部内のある人が、自分は一人の霊能者に会いに行ってきたと言いました。私は霊能者とは何なのかさえも知りませんでしたが、彼女は、「あなたも試してみるべきだわ。面白い経験よ」と言いました。私には偏見がなかったので、会いに行きました。私の「守護霊」とやらが話したことによれば、私はあるニューエイジのセンターに行くべきで、そこで私がこれまでの人生でずっと探し求めてきたものを見出すだろう、とのことでした。私は、それはとても好奇心をそそられるような話だと思いました。私は自分が何を求めていたのかさえ、よくわかっていなかったからです。私はそのこと全体にとても困惑しましたが、とにかく電話してみました。癒しに関するいくつかのワークショップが開催されるとのことでしたので、登録手続きをしに行きました。私が選択したものの中に、『奇跡講座』と呼ばれるものがあったのです。
IP: それがどのようなコースなのかについて、多少の見当はついていたのですか?
GW: いいえ。けれどもそのときの教師は、赦しについて話していました。私は彼に話しかけて、質問しました。とても興味をそそられました。私はその夜すぐにその本を買いたかったのですが、手持ちのお金がありませんでした。その教師は私を信頼していると言い、その本を持ち帰らせてくれました。
KW: それはニューヨーク市では非常に珍しいことです!
GW: その夜は明け方近くまで読み続けました。それは私を貫く稲妻のようでした。
まるでイエスの声が直接私に読んで聞かせてくれているように感じたのです。その本に、神はこの世界を創造していないと書かれてあるのを読んだとき、私の人生のパズル全体が一つににつながりました。それが、神についての私の癒しの始まりでした。それが大発見の瞬間でした。
私はこれがすごく重要な本だと感じたので、それについて週に1度の集まりを自宅で開こうと思いたちました。友人全員に電話をかけ、参加したいという人がいたら誰でも連れてきてほしいと言いました。
IP: その人たちは、『奇跡講座』を学んでいた人々ではなく、単にあなたの友人たちだったということですか?
GW: そうです。私が友人たちに話したのはただ、これは信じられないくらい凄い本だから、仮に初回の夜以降はもう参加したくなくなる人がいるとしても、とにかくそれが述べていることに耳を傾けてみるべきだ、ということだけでした。
IP: ケンとはいつ知り合ったのですか? 馴れ初めの話を少し聞かせてください!
GW: 私がケネスに初めて会ったのは、1977年の6月に、彼がニューヨーク市で講演していたときのことです。壇上には、ビル、ジュディ、ジェリー・ジャンポルスキーといった人たちがいました。ヘレンはそこにいませんでしたが、他の人たちは皆いました。ケネスが話すために立ち上がったとき、突然、壇上の彼の周りに巨大な白いオーラが見えました。私は普段は、オーラなんて見えないのです。ですから、「うわーっ、すごく面白そう!」と思いました。それが何を意味するのかはわかりませんでしたし、彼には何も言いませんでした。
GW: その頃までに、私の自宅に集まるグループの中でいろいろな困難が生じていました。事実上、そこにはあらゆる霊的な教えを学んできた人々がいました。カトリックの人たちは『奇跡講座』を理解するのにかなり苦労していました。彼らは『奇跡講座』が化体説〔聖餐のパンとワインが文字通りイエスの肉と血に変容するという説〕について話しているのだと考えましたが、私はそうは思いませんでした。彼らは、その教義を『奇跡講座』にはめ込もうとしていたのです。
ケネスは話を終えた後、客席の横の通路を歩いていたので、私は彼に声をかけ、「化体説について質問があるのですが」と言いました。彼は驚いて私を見て、その場で答える時間はないけれど、彼の名前は電話帳に載っているので、もしよければ電話してくれないか、と言いました。変な発言だと感じたので、私は電話しませんでした。
その1、2ヶ月後、私が住んでいたところの近くで、また一つの集会がありました。彼は午後の部で講演することになっていました。私は、以前の質問と、あとで思い浮かんだ2、3の別の質問にも答えてもらえるかもしれないと思って、出かけていきました。彼は私のことを覚えていましたが、再び、それについて論じる時間がないと言いました。そこはとても混雑していて、質問したい大勢の人たちが彼を取り囲んでいたからです。そして、またもや彼は、「電話していただけませんか?」と言いました。私はムッときたので、電話しませんでした。
その年には3度目の集会がありました。ケネスが話をするということを前もって知っていたので、私は彼に会うつもりで出かけて行きました。彼は入ってくるなり、「おや、私のカトリックのガールフレンドがいますね!」と言いました。私はそのことを決して忘れないでしょう。「私がカトリック教徒じゃないってことも知らないのに、勝手なことを言っているわ!」と思いました。そのあと、歩いて昼食に行く途中で、ついに私は質問への答えをもらいました。そして私は彼に、私のグループのところに来て、私たちの相容れない解釈を解決するのを助けてもらえないだろうかと尋ねました。それからその時、「私は高所恐怖症で、ヘビも怖いのです」と話しました。それに対して、彼はこう言いました。「あなたが本当に恐れているのはそれらのものではありませんよ。あなたはイエスから逃げているのです」と。
それはまるで、誰かが蛇口の栓を開けたかのようでした。いきなり、私は泣き始めました。私はテーブルから立ち上がり、帰り支度をしました。家に帰る間もずっと泣いていました。それで、私は彼に電話しなければならないということがわかりました。泣き止むことができなかったからです。このようにして私たちは知り合いになりました。彼は私のグループのところに来てくれました。そこから次々といろいろな展開がありました。これが私たちの馴れ初めの話です!