ケネス・ワプニック インタビュー第1回

 

 

生い立ち

 

イアン・パトリック(以下、IP):  ケン、まずは、あなたの子供時代や、家庭環境や、幼少期の宗教的教育について話していただけませんか。

 

ケネス・ワプニック(以下、KW):  私は1942年に、ニューヨークのブルックリンで、ユダヤ人の家庭に生まれました。当時のユダヤ人の多くがそうであったように、私の家族も、文化的な帰属感がユダヤ系だったというだけで、宗教としてのユダヤ教を信じていたわけではありませんでした。ということは、つまり、私たちはユダヤ教の主要な祭日を祝い、家庭ではユダヤの食習慣を守ってはいましたが、家の中に真に神を感じさせるようなものは何もなかった、ということです。小学校では、午前中にヘブライ語を習い、午後に英語で授業がありました。自分はヘブライ語が大嫌いだと気づいたときには、私はすでに11歳になっていました。実のところ、あたかも史実であるかのように学校で教えられていた事柄のすべてを、私は嫌悪していました。そこで説明されているようなことを神がするなどというのは、私にはどう考えてもおかしなことだと思えたのです。その教え方には、実際に役立つものは何もなく、真の霊性の感覚といったものも欠落していました。それは単に、「これが聖書の言っていることです。これがユダヤ人の信じていることであり、あなたたちが覚えなければならないことです……」と述べるだけのものでした。

 

IP: あなたが嫌悪していたというのは、たとえば、「ソドムとゴモラ」のような話のことですか?

 

KW: そうです。私は血なまぐさいものや人殺しの話は、すべて嫌いでした。今でも覚えているのは、「ヨシュアが戦いに勝てるようにと、神が太陽を静止させた」という話を教えられたときのことです。私は友人の方に身を乗り出し、「ばかばかしい」と、二人でささやき合いました。それは、まったく意味をなさない話でした。そこには、私たちの生命の中に現存する生ける神、といった感覚がありませんでした。

 

IP: あなたは、そうした神が自分の見つけたいものだと感じていたのですか?

 

KW: いいえ。私は神には全く関心がありませんでした。私はヘブライ語を学びましたから、今でもヘブライ語の読み書きができますし、ユダヤの思想がどのようなものであるかも学んだし、8年間の学校生活の間にユダヤ教の律法「トーラー」は3回通読しました。ですから、私は徹底したユダヤ教の教育を受けたわけです。しかし、13歳で小学校を卒業した後は、普通の公立高校へ進学しました。そして私は、自分が二度と再び神について考えることなどないだろう、と本気で感じていました。

 

それから2年ほど後、私の母は、2人の息子がクラシック音楽に興味を持ってくれたらいいだろうと思いつきました。彼女は音楽の同好会に入会し、何枚ものレコードを入手しはじめ、私はそれらを聴くようになりました。とてもゆっくりとですが、私はクラシック音楽が好きになりはじめました。私の人生の次の10年から15年の間は、音楽が私の宗教だったと言えると思います。いつしか、私は、ベートーヴェンやモーツァルトを聴いているときに、内的経験をするようになってきました。

 

IP: 音楽に情緒的な反応をしたというのは理解できます。しかし、あなたにとっては、その経験はそれ以上のものだったということですか?

 

KW: その通りです。音楽には確かに情緒的な要素があり、それは私も感じていました。しかしこれはもっとずっと深い感覚でした。私は音楽の中に、私が普段感じるようなものを上回る何かを聞きとることができました。それが何なのかはわかりませんでしたが、そこに何かがあることはわかりました。残りの高校時代、大学から大学院に至る時代、そしてそれ以降もずっと、音楽は私にとって、疑いなく最も大切なものでした。

 

音楽への関心を深め始めたのとほぼ同じ頃に、私はフロイトを読み始めました。高校の授業で、誰かがフロイトに言及したことがあったのですが、その後、私が図書室にいたとき、まるで棚から転げ落ちてきたかのような一冊の本がありました。それが、フロイト理論の入門書でした。私はそれを読み、好きになりました。今日に至るまで、当時の自分がどのくらい理解していたのかは、わかりません。私は15歳か16歳ぐらいでした。しかし、何かが本当に私の興味をそそり、手あたり次第、何でも読み始めました。フロイトの『夢判断』に始まり、フロイト以外の理論家の本にいたるまで、いろいろ読みました。

 

 

音楽と心理学への傾倒

私は心理学者になろうと決心し、その後それについて迷うことはありませんでした。大学に進学し、当たり前のように、心理学で学士号を取得しました。心理学よりも文学の授業をたくさん受講したのですが、必修科目はちゃんと履修しました。大学時代のある時、私は、今や自分の人生には2つの部分がある、ということに気がつきました。心理学を学び、心理学者になる準備をしている外的部分と、ベートーヴェンやモーツァルトに惹かれている内的部分の2つです。私はそんな風にそのことを考えていました。それを葛藤として経験することはありませんでしたが、ニューヨーク市内のコンサートやオペラに行くために、授業をサボったりはしました。

 

音楽への私の関心はすごく深まっていきました。そして、私がますます意識するようになっていったのは、この音楽というものの中に、というか、私が経験していた音楽の体験の中に、私がそれまで読んだことのあるどの文献の中でも語られたことのない何かがある、ということでした。私は、フロイトや他の多くの人々を敬愛してはいましたが、彼らがこのことについて語ってはいないということもわかっていました。

 

私は22歳で大学を卒業し、臨床心理学で博士号を取得するために大学院に進学しました。私にとって、それはごくたやすいことでした。すでにあらゆる文献を読みあさっていましたし、成績は優秀でした。また、臨床心理学が好きでしたし、よく理解していたので、自分の自由になる時間がたっぷりありました。だからその頃も、授業をサボって、ニューヨークに音楽を聴きに行っていました。私は本当に、ベートーヴェンの音楽の核心に触れるようになりつつありました。

 

そして大学院の2年目になって、初めて葛藤というものを経験しました。私は学業をよくこなし、人々と一緒に働くことが好きだったのですが、一方では、自分が学んでいることについては、その価値を信じていませんでした。私にとって重要なのは、音楽だけでした。そして音楽を通して自分の中に目覚めつつあったものの深奥へと到達することだけでした。その頃に初めて、「自分は大学院を中退して音楽で何かすべきなのではないか」と、真剣に考えはじめました。けれども、しばらくするうちに、私は音楽を学ぶこと自体には関心がなく、自分の音楽的才能はひどく限られている、ということを悟りました。 

グロリア・ワプニック (以下、GW):  そんなことはありません。彼は指揮するのがとてもうまいんですよ!

KW: 確かに、私は指揮棒を持っていますし、指揮をします。以前はよく、指揮棒を持ってコンサートに行き、隅の方に座って指揮をしたものです! クラリネットは吹きますが下手ですし、歌うことは全くできません。でも私は音楽を愛していますし、聴くことは非常に得意です。 

(第2回へ続く)

 

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