ケネス・ワプニック インタビュー第8回
5、6人の人たち
IP: ケン、その当時あなたは何をしていたのですか?
ケネス・ワプニック(以下、KW) : ヘレンは1981年2月に亡くなっていたのに、その後、私はあまり教えることはしていませんでした。多くのグループから話をしてほしいと頼まれましたが、その気になれませんでした。その殆どがちょっと風変わりなグループだったので、私は、役に立たないと思えたことを行なったり、聞いたりするだけのために出かけていくことは、したくなかったのです。でもグロリアのグループと、他の2、3のグループだけは違いました。グロリアが真剣だということが、私にはわかりました。
グロリア・ワプニック(以下、GW) : あの時はすごく不思議でした。どうしてそうなったのか、私にはわからないし、ケネスが最初に私たちのグループに来てくれたときに、何を言ったのかも、もう覚えていないのですが、私たちのグループの中でまるで第三次世界大戦が勃発するかのような雰囲気だったあの時に、ケネスのおかげで、誰もが自分の疑問に答えてもらったと感じて、深い平安に満たされたのです。
KW: 1982年には、私たちはジュディ・スカッチのところにしばらく滞在するために、カリフォルニアに出かけました。彼女とボブ・スカッチは、ワシントン州の山の中で行われていた大規模な「ミラクル・カンファレンス」で講演することになっていたので、ジュディが私たちを招待したのです。私は予定表に講演者として記載されていませんでしたし、話をすることに興味もありませんでした。初日の夜の部で、ジュディは『奇跡講座』が書かれた経緯などについて話していましたが、その最後に、彼女はこう言いました。「皆さんの質問に答えるべき人は、私ではありません。ここにその適任者がいます。」彼女は私を壇上へと誘
い、私はしばらく話をしました。すると彼らは、翌日も話をしてほしいと求めてきました。私が大勢の人たちの前で『奇跡講座』について話をしたのはそれが最初でした。
IP: あなた方の財団についての構想はどのように生じたのですか?
KW : 私は最初からずっと、「内なる平安のための財団」(FIP)の理事会の一員ですが、その財団は西海岸にあって、私たちは東海岸にいたので、私たちの方でも別の組織を持った方がやりやすいと思いました。それで、1982年の終わりに私たちは自分たちの財団を始めたのです。
IP: なぜ、『奇跡講座』を教えるための財団が必要だと思ったのですか?
KW : ヘレンは、霊視で水辺の大きな白い家を見ていて、そこには、「平安……財団」と書かれた木製のドアがありました。私たちは、ビル、ヘレン、彼女の夫、そして私が、そこに住んで教えているところを見たのです。 でも、その
形はいつも不明瞭でした。この時も、私たちはそれを、教師たちを教える場所のようなものと捉えていました。今のような大規模なものは全く思い描いていませんでした。あなたもおそらく、ヘレンがいつも言っていた有名な言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。彼女はいつも、「『奇跡講座』は5、6人の人たちのためのものです!」と言っていました!
(訳注: このヘレンの言葉については、『天国から離れて』の中に説明がありますので、その部分を「ワンポイント解説」の中の「5,6人の人たち」(ヘレンの言葉)というページに引用しておきます。)
教える仕事
GW : そして、『奇跡講座』は教えやすい形をしています。私は、これまでずっと教師をしてきたのですが、『奇跡講座』が教育課程の体裁をとっていることは、私には明白です。テキストがあり、ワークブックがあり、教師のためのマニュアルがあります。このコースはそのようにできているのです。
KW : 私は本当は、人前に出るのを好む人間ではありません。頻繁に人前で話をしてはいますが、要するに、生き方という点では私は修道士的なのです。たくさんの人々に囲まれていたいとは思っていません。しかし、『奇跡講座』については誰かが教える必要があったということは、常に明白でした。そして同じく明白だったことは、ヘレンは教えるつもりがなく、ビルは教えたいと思っていなかったということでした。そうなると、私が教えなければならなくなったというわけです。
GW : それ以前の1981年に、私たちは車1台分のガレージを教室に改造していましたが、そんな小さなスペースではすべての受講希望者に対応できませんでした。すぐに、もっと広い場所が必要になりました。
KW : その頃、私がカウンセリングをしていたときの患者で元神父だった人が、『奇跡講座』と私のことについて、彼の友人であるボブ・ドレイパーという人に話し、ボブは私に、手紙で質問を送ってくるようになり、私たちは友人になりました。そして1982年に私はアリゾナ州トゥーソンで、週末のワークショップをすることになったのですが、私の父が亡くなったためにそれを中止しなければならなくなりました。それでも、日帰りのフライトで行き来して1日分の講義だけでもしてくれないかと嘆願されたので、私は行くことにしました。そこでボブとその奥さんのキャシーと会いました。その後しばらくして、ボブが電話をしてきて、彼らは私たちに資金を提供すべきだと感じていると言ってくれました。そうして彼らは20万ドルを寄付してくれたのです。そのおかげで、私たちはニューヨーク州クロムポンドに建物を購入することができました。
GW : そこが、私たちが次に移転した場所でした。そこは前よりもずっと広くて、事務所用のスペースと、講義室として使える2つのとても大きな部屋がありました。それでもしばらくすると、そこにも収まりきらなくなりました。それでボブは新しい場所の資金を出すことに同意してくれたのです。私たちはたくさんの場所を見て回りました。元修道院だったところもいくつか見ましたが、どれも使えそうには思えませんでした。そして、ある友人が私たちに、ここ(ニューヨーク州ロスコー郊外のテナナ湖)の、この場所について教えてくれたのです。それで私たちは、ここを見にきました。それは12月8日のことだったのですが、その日は「無原罪の聖マリア」の祝日だったので、私にとっては意義深い日でした。この場所はひどく荒れ果てた状態でしたが、まさにここだと感じました。
IP: そこは、水辺の白い建物というヘレンの霊視映像によく似ていたのですね。
KW : ええと、あれは明らかに象徴でしたが。でも、そうですね。あの霊視映像は、てっぺんに十字架のある白い建物でした。
GW : それから私たちは敷地内のすべての建物を修繕しました。内装も外装もです。どちらも、とてもひどい状態だったのです。台所を作り、暖房装置を取り付け、屋根を葺き替え、新しい2つの建物を増築しました。
IP: ここでクラスやセミナーを開催したり、個々人が一人で静かに学習できる場を提供したりしているのですね?
GW : そうです。そして今年(1998年)から、「黙想週間」も始めました。私たちはワークショップや、アカデミー・クラスや、2、3週間続く集中コースを開催しています。進みながら、様々な形態のものを試しています。
IP: ケン、あなたはここで、『奇跡講座』の翻訳プロジェクトを監修されているとのことですが、今までに何カ国語に取り組んでこられたのですか?
KW : 4つです。ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、そしてヘブライ語です。中国語版の翻訳が来年(1999年)に出版される予定です。ロシア語版は、今年中に完成し、来年(1999年)早々に出版される予定です。フランス語版も取り組んでいる最中です。スペイン語版は全面的な改訂作業が進行中です。ドイツ語版とイタリア語版は、来年(1999年)に完成するでしょう。デンマーク語版はその1、2年後になります。翻訳はまだまだ続きます。