ケネス・ワプニック インタビュー第2回
博士論文と神秘思想
KW: 私は心理学の博士論文を、ベートーヴェンをテーマにして書こうと考えたことがありました。自分の人生のこれら二つの側面を統合するための一つの試みというようなつもりだったのですが、私の音楽体験を客観的に研究することなど到底できないことがわかりました。そして次第に神秘思想に興味を持つようになっていきました。
神秘家たちについて読めば読むほど、彼らが私自身の体験と同じ種類のことについて書いていると実感するようになったのです。彼らはそれを「神」と呼んでいましたが、私はそれに名前をつけてはいませんでした。彼らはあるプロセスについて描写していたのですが、私もベートーヴェンの音楽の中に、年を経るにつれて変化していくプロセスがあるのを感じることができました。それと同じプロセスが、私自身の中にもあるとわかりました。それは、あの「名もなき何か」に向かって少しずつ近づいていくプロセスでした。そうしたことが、当時の私が興味を持っていたことだったのです。
私の論文のテーマは結局、アヴィラの聖テレジアに落ち着きました。16世紀のスペインの神秘家です。全ての神秘家たちのうちでも、理論ではなく自らの体験に基づいて書き残しているのは彼女だけです。私は彼女の体験を取り上げて、精神分析、行動主義、実存主義という心理学の三大学派の観点から分析し、そしてそれに、私自身の解釈を加えました。「神秘体験の心理学」という論文でした。その中の「統合失調症」に関する一章は、博士論文としては承認を得られないものだったので、削除しなければなりませんでした。けれども、自分ではそれは最もよく出来た章の一つだと思っていたので、後にそれを書き直して、「統合失調症と神秘思想」という別の小論文として発表しました。
IP: その研究であなたは、どの程度まで、来たるべきもののための土台を築くことになったのですか?
KW: 私は、聖テレジアに少なくとも二年は費やしました。彼女は生粋のキリスト教徒だったというのに、当時の私はイエスや神にはまったく関心がなかったのですが、彼女の体験を、私はメタファー(隠喩)として用いたのです。彼女は抽象的なものごとについて書いていて、私はそれが気に入りましたし、とても共感しました。今にして思えば、あれは、イエスや神への私の抵抗感が軽減されるようになるための道程でした。聖テレジアに絞り込むまでに、私はヒンズー教や仏教やユダヤ教の中の神秘思想の文献をたくさん読み、こうした体験の普遍性の全貌について認識し、精通するようになっていました。
バガヴァッド・ギーターやウパニシャッドを読みましたし、ヴェーダも、その大半を読みました。大量の文献を読みあさり、どれもみな気に入りました。そのすべてが真実であるということが、自分自身の体験から確信できました。私の体験は、酔いしれるような感覚とは無縁のものでした。そして、この体験がベートーヴェンが人生を通して経験したものとも同じものだということが、私にはわかりました。また、モーツァルトはそれを経験していない、ということにも気づきました。彼にはそのようなプロセスはなかったからです。モーツァルトは、ヘレン(『奇跡講座』の筆記者ヘレン・シャックマン)がそうであったように、源へ直結するパイプのようなものでした。
1968年に博士論文を書き上げたとき、私は、その論文の意義は、一つの作品としての意義ではなかったと気がつきました。それはまあまあの出来でしたが、今の私なら、もっとずっと違った形で書くだろうと思います。意義があったのは、私がそれに取り組み、「自分にそれができる」と自分自身を信じて、博士論文として受け入れてもらえたというプロセス全体でした。それは、私自身の中のこれら二つの部分を統合するための、最初の重要な一歩となったと感じられました。ですから私は、自分が内面における何かを達成したということをとても嬉しく感じました。
修道士のような生活
IP: 次に、あなたが修道生活に惹かれるようになったという話に移りましょう。
KW: 当時私は結婚していましたが、妻と私はとても疎遠になっていました。私が自分のこの内的な側面に居心地がよくなってくるにつれて、妻のルースの方はそういう私に対して居心地悪く感じるようになっていきました。私たちは1970年に離婚しました。私はニューヨーク州の北部に引っ越して、ある精神病院で臨床心理士副主任になり、最終的には主任に昇格しました。その時から、私は一人で暮らすようになり、この修道士的な生活が始まったのです。
私はセラピストとして働いていて、多くの場合、精神的に不安定な子供たちを担当しました。それが、私にとって実社会での最初の仕事でした。学校に出張して、親たちや家族や子供たちを助けることもしました。精神的に不安定な人々と接することは、相手が子供の場合でも、精神病院の中で精神障害者と向かい合う場合でも、いつも、私にとっては無理なく自然に取り組める仕事でした。
GW: あなたがそうしたプログラムを全部、自分で設置したのでしたよね。
KW: そうです。病院では私はいろいろなことをしました。
結婚生活が破綻しつつあったその頃、私は、いくつかの体験をし始めました。それらは、少なくともその当時の私にとって、「人格的な神が本当に存在する」ということを明らかにしてくれるような体験でした。それまで私が経験してきた抽象的な体験は、長年にわたって私がその体験に向かって成長していったということでもありましたが、それが、その「人格神の存在」についての知識において頂点に達したのです。
これにより、私にとってすべてが変わりました。
そして、州北部に住んでいた頃、自分が何をしているかもわからないまま、私の生活は次第に、少しずつ修道士のような生き方になっていったのです。それは意識的にしたことではありませんでした。ユダヤ人は修道院生活についてはよく知りません。しかし私が友人たちと過ごす時間はどんどん減っていきました。
病院では一生懸命に働きましたが、一日が終われば家に帰りました。そして多くの時間を静かに過ごしました。私は自分が見た夢についてずいぶんと分析しましたし、それはその時点では役に立ちました。そうしたことが一年くらい続きました。それは素晴らしい時間でした。
以下は「おまけ」:
♬ このインタビューのBGMとして...
♫ ベートーヴェンが表現した「自我の闇と、その中に差し込む光」の一例
(4分を少し過ぎたあたりから、「光」が差し込みます。)
"私もベートーヴェンの音楽の中に、年を経るにつれて変化していくプロセスがあるのを感じることができました。それと同じプロセスが、私自身の中にもあるとわかりました。それは、あの「名もなき何か」に向かって少しずつ近づいていくプロセスでした。"
-- ケネス・ワプニック
◇ 追 記 ◇
このインタビューの最後にご紹介したベートーヴェンの曲について、「なぜこの曲を?」と思われた方々のために補足します。
第一には、このインタビューの内容にちなんで、ケネス・ワプニック先生のお好きだった曲をご紹介したいと思ったため、私(加藤)が個人的に先生のお気に入りと知っていた曲の中から一つを選んだという理由がありました。さらに、これは私自身にとっても思い出深い楽章であり、既に講義『原因についてのコース』のDVD版の最後にも、上記の「闇に光が差し込む」と表現した部分(短調から長調に変わる部分)を使用していましたから、この機会に第2楽章全体を聴いていただきたいと思ったという理由もあります。
なお、紹介の際にBGMという言葉を使用しましたが、これは、文字通りの意味で「この曲を聞きながらこれを読んでいただく」ということを意図していたわけではありません。音楽には人それぞれ好みがありますから、押しつけがましくならないように、あくまでも控えめにご紹介するという意図を込めて使った言葉です。けれども、その意図が理解されず、文字通りの意味に解釈された方がおられたと聞きましたので、蛇足ですが付け加えさせていただきます。